痛い―― 。 西野直希(男子5番)に付けられた傷は、じくじくと血を垂れ流しながら鈍い痛みを放っていた。 貫通した左腕の出血はかなり酷く、こうして左腕の付け根を苦労してスポーツタオルで縛ったものの、やはり片手だ けでは満足に締められなかったのだろう、未だに止血は出来ていない。 徐々に体力が失せていくのが手に取るようにわかった。先程に比べて、随分と体はだるい。足元もおぼつかない。ふ らふらとしている。水が欲しい。水が足りない。水が恋しい。水が愛しい。水、水、水。 三島幸正(男子6番)の怒りの矛先は、まさしく天敵、西野直希にのみ向けられていた。 だらんと垂れ下がった左腕は酷く腫れ、熱を帯びていた。西野が放った刀は見事に腕を貫通していた。もしもあの時 腕を突き出していなかったら、今頃自分の命は当に散ってしまっていただろうに。だが、生きながらえることが出来た 代償として、この左腕の傷が残った。いわば、これは爆弾だ。首輪などについているような、静かにしておけば安全 な代物などではなく、じわりじわりと自分の体を蝕んでいく、時限爆弾だ。 ベレッタM92Fを握る右手は、左手をあざ笑うかのようにふるふると震えている。痺れは左肩まで侵食してきた。 ふと、出発直後に襲い掛かってきた相棒の森川 勇(男子7番)を思い出す。もしも彼が、自分を裏切らなかったら。も しも彼が、西野と戦ったときにあの場にいれば。 たら、れば。言い出すときりがない。彼は強かった。彼は頼りになった。だけど、結局精神は弱かった。精神が弱かっ たから、相棒を殺して自由になるという単純な動機で、自分に襲い掛かってきた。 彼がいれば、彼の精神が強ければ、西野は倒せた。きっと怪我だってしなかった。いや、もしも彼を殺していなけれ ば、彼が襲い掛かってこなければ、自分は誰かを殺したなんて放送で言われなかったのだ。積極的に殺すつもりな んて毛頭無い。だけど、既に自分は森川を殺していたから、だから西野だって自分を警戒したのだ。 だから、自分も西野を殺そうと考えた。森川を殺してしまったから、もう何人殺しても同じことだと、信じて疑わなかっ た。だから、自分は戦った。そして戦って、痛み分けになった。 左腕が痛かった。ただ、偶然が重なって、結果論として、自分は傷を負っている。悪いのは自分ではない。西野でも ない。ましてや襲ってきた森川でもない。真の悪は、自分達をプログラムに巻き込んだ政府だ。だけど、それに対して 自分達は何も出来ない。いや、何かをしようとして、篠塚晴輝(男子3番)は殺された。 俺だって、死ぬのは怖い。 死ぬことを考えただけでこんなにも恐ろしいのだから、きっと、本当に死んだ奴は。 自分達は無力だ。何も出来ない。出来ることといえば、戦って、クラスメイトを殺して、生き残ること。 だが、クラスメイトを、3年間席を並べてきた奴を殺して、そしてその結果生き残って何になる。生き残ったところで、自 分はどうやって生きていけばいいんだ。家族にだって迷惑がかかる。いや、もともと迷惑はかけていたが、生き残って 帰るよりはマシだろう。息子が人殺しだなんて、どんなに苦痛だろう。 結局、死んだ方がマシなのかもしれない。だけど、死ぬのは怖かった。だから、死ねない。そう、それは大きな矛盾な のだろうけれども、だけどそんなの関係ねぇ。怖いものは怖い。だから嫌なんだ、死ぬのは。死にたくないから、戦う。 戦って、生き残る。だけど、生き残った先に待っているのは、死ぬよりも辛い仕打ち。世間の冷たい視線。 胸が苦しかった。自分が、どうしたいのかわからなかった。 死にたくない。だけど、生き残りたくもない。 俺は、どうすればいいんだ。 ふらふらと森を歩く。おぼつかない足が、木の根に躓いた。 傷を負っている左腕から思いっきり倒れて、耐え難い激痛が、俺を襲う。瞬間、こんなにも苦悩していた神経が、極度 に刺激された。痛い、ただそれだけを伝えてきた。 畜生、痛い。痛い。痛すぎる。 その痛みは、覚醒するのには十分だった。 なんだ、簡単なことだ。 先のことなんて、考えなければいい。 生き残ったら生き残ったで、どうすればいいかなんてそれから考えればいい。 その痛みは、傷をつけた張本人、西野を思い出させるのに十分すぎた。 悔しさが、惨めさが、脆く、儚く、俺を傷つけた。 「畜生……」 痛い。痛すぎるぞ、畜生。 畜生、畜生、西野の野郎、西野の野郎……! 「ちきしょおおおおおっっっ!!!」 叫んだ。同時に、傷が疼く。 だが、その痛みは、憎しみに変えることが出来た。うらみ、つらみ、ねたみ、全てが結晶となって、俺自身を突き動か すのだ。 そう、どんな手を使ってでも。 西野、お前は俺がこの手で―― 。 それまでは、俺は死ぬわけにはいかない。 絶対に。 デイパックのジッパーをあける。そして、残っていた水を、全て飲み干した。 一気に喉が潤う。勢いよく飲んだせいか、少しだけ、むせた。だが、これでいい、これでいいのだ。 もうこれで、後戻りは出来ない。自分は、やるしかないのだ。 目の前に、池が現れた。 そこに立っている、一人の女子。ふらふらとしていて、今にも倒れそうだ。一体、あれは誰だろうか。 音を立てずにそっと近付こうとしたが、そう上手くはいかなかった。自分もおぼついている身。案の定茂みの葉っぱを 揺らしてしまう結果となった。 それにビクンと反応する女子。勢いよく振り向くと、いきなりこちらに向けて何かを構えた。それが何かを確認するや 否や、反射的に走り出す。 ぱぱぱぱぱ……。 ウージー9ミリ・サブマシンガンから吐き出された鉛の弾は、瞬時に先刻自分がいた位置を貫いていた。 振り向いて、一気に走り出す。再び鈍痛が襲い掛かってきたが、そんなことは関係ない。今は、悔しいがこの場から 逃げなくてはならない。初めての、敗走だった。いや、もともとこちらは戦いを仕掛けてもいないのだから、負けという わけではないのだが。 一瞬だけ顔を見た。彼女の名は、松岡圭子(女子4番)。ペアである東雲泰史(男子4番)の姿までは確認できなかっ た。一体、何処にいるのだろうか。それとも、あるいは。 誰とも関わらずにいきなり掃射してきたところを見ると、どうも相当精神的にやられているのだろう。そう、つい先程の 自分のように。もしもあのままの自分で今の境遇に出くわしていたら、きっと今頃蜂の巣だ。 だけど、今俺は生きている。結果的に、生き延びている。 そう、俺は生きる。 西野を、この手で殺すまで。 必ず。 絶対に。 【残り4人】 Prev / Next / Top |