16.孤  独



 あれから、既に何時間も経過していた。
 あの場所から逃げて、そしてずっと一人ぼっちで。


 吉田由美(女子5番)は、池の畔から少し離れたところに生えている大木の根っこに、腰を下ろしていた。
何をする気力も起きず、行動しようとも思わず。ただ、目の前に迫りつつある危険だけを避けようとしていた。そう、自
分は動かない方がいい。下手に移動して体力を無駄に消耗するよりも、じっと潜み続けて温存しておいた方がいい。
そう考えて、この5時間強、息を潜めて、声も出さずに、虚無な時間を潰していた。
あの激しい銃撃戦の後、一度だけ、銃声が会場内に響いた。随分前に、それはここからでもその存在が確認できる
人工の建造物、展望台の方から聴こえてきた。
森の中で人工の物を見つけるのは簡単なことだという。人工の物は、直線だから。不気味に綺麗な、直線だから。自
然界には、直線など存在しないのだから。真っ直ぐな木なんてない。地面だってでこぼこしている。そして、人の心だ
って、真っ直ぐに突き進めるはずなんかないのだ。
心は作り物じゃあない。感じて、味わって、そして考えて。それが、心だ。真っ直ぐな意思なんて、無いんだ。

 だからみんな殺しあっている。
 あたしだって、親友を突き放してる。

西野直希(男子5番)が心配だった。
いや、それもおかしな話だ。心配しているのは向こうだ。何故なら、自分は足手まといだから。彼が生き残るのに、連
動制度という枷で邪魔な存在、それがあたしだから。
そう、彼だって本当は単独で行動したかったはずだ。この連動制度が無かったら、彼はきっとあたしなんかと一緒に
行動しないだろうし、あたしが死んだらいけないと、変に気を使わなくともいいはずなのに。

 あたしは、一人だ。
 誰も手を差し伸べてくれない、孤独な人だ。

いや、あたしから、みんなの手を振り払ったのだ。
なに都合のいいように解釈しているんだ、自分。わきまえろ、バカ。



 ぱぱぱぱぱ……。



それは、もう何回も聞いている銃声だった。自分達が出発して間もなく聞こえてきた銃声でもあるし、先程展望台の
方面から聞こえてきたものでもある。そう、きっとこのマシンガンの持ち主は、その気になっている者だ。
しかも、かなり近い。すぐ傍で、それは聴こえた。自分が狙われているわけではないというのは解ったのだが、もしか
すると相手はペアの西野かもしれない。確認しなきゃ。もしもそれで彼が死んでしまったら、あたしはその殺した人物
を殺さなくてはならないのだから。
フォールディングナイフを、スカートからそっと抜き出す。決して見つからないように、そっと茂みから顔を出す。
目の前を、凄い勢いで駆けていく影が見えた。はっと気付いて、慌ててその後姿を確認する。そして、その背丈から、
恐らくそれは三島幸正(男子6番)であろうと確信した。
今度は反対側を向く。そこには、女子生徒が立っていた。松岡圭子(女子4番)だ。

「ケイちゃん……!」

そう、三島は放送後に一度遭遇しているが、松岡圭子の姿を見たのはあの部屋を出て以来初めてだった。そして、
その豹変振りに驚かされた。
血走った眼。乱れた髪。虚ろな視線は冷たく凍てついていて、獲物を探すような野生の瞳をしていた。

 一体、何が?

吊り下げられている鉄の塊を、彼女は両手で握り締めていた。
ぶつぶつと何かを呟きながら、だが三島の後を追おうともせずに、その場でふらふらとしていた。
逃げよう。見つかったら、殺される。ここは、少し危険だけど離れた方がいい。そう思って、屈みこんだ姿勢のままハイ
ハイで茂みの中を移動しようとしたときだ。
クンッ、と何かに引っ張られた。だが気にせずに進もうとして、引っ張る勢いは増すばかり。
はっと気が付いて振り向くと、ブレザーの端が茂みに絡まっていた。すぐそこには鬼がいる。早く逃げなくてはならな
いという焦りが、事態を悪化させた。


 ガサッ、ガササッ。


無理にブレザーを引っ張って、思いっきり茂みが揺れた。
お陰でブレザーは自由になったが、流石に音を出しすぎた。案の定、彼女はこちらの方を向いている。大丈夫、まだ
誰かなのまではわかっていない。まぁ、誰かいると気が付かれた時点で危ないのだが。

「ヤス君……?」

松岡圭子は、虚ろな眼をこちらに向けて、そう呟いていた。ヤス君、というのは彼女の恋人、東雲泰史(男子4番)の
愛称だ。そういえば、彼の姿が見えない。何処へ行ったのだろうか。

「ヤス君なの……?」

探している以上、今彼女とは共に行動していない筈だ。とりあえず違うということを言っておいた方がいいのだろうか
などと考えていると、茂みが裂けて、そこから彼女の顔が見えた。蒼白だった。

「違う……ヤス君じゃない……」

あたしはかなり嫌な予感がして、振り向いて走り始めた。そこではじめて、今自分は先程の三島幸正と同じ行動をし
ているということに気が付いたのだった。

「死んじゃえ……死んじゃえ……!!」

怖い。怖かった。
恐らく、これから起こる出来事が、怖い。



 ぱぱぱぱぱ……。



よく考えてみれば、これが初めての戦闘だった。命をかけた、やり取りだった。
下手をしたら自分は死ぬかもしれない。いや、逃げなければ、確実にあたしはやられてしまうんだ。

「ああぁぁぁああああっっっ!!!」

気が付けば、あたしは咆哮を上げていた。
何時訪れるかわからない死。そう、あたしが見放した親友の原田真奈(女子3番)のように、確実に死が訪れるという
わけではない。あたしが頑張れば、あたしはまだ生き残ることが出来る可能性はある。

 そうだ、随分前のことだけど、あたしは自分で決めたじゃないか。
 どんな手を使ってでも、生き残ると。

そう、あたしは生きる。
幸い、こっちはデイパックも持っていない軽装だったし、さらに校内マラソン女子部門優勝の成績だ(まぁ、規模は小さ
いけれどもね)。走るのには自信がある。それに、彼女はマシンガンという重たい代物を抱えている。
弾が、あたしに襲い掛かってきた。だけど、森の中は真っ直ぐな道ではなかったし、あちこちくねくねと曲がっているう
ちに気が付けば弾も避けているという始末だった。
無我夢中で走っていると、いつの間にか後ろから追ってくる筈の彼女の姿が見えなかった。とりあえず走るのをやめ
て、今自分が何処にいるのかを確認しておく。展望台が右手に見え、沈む太陽は左手にある。辺りはすっかり薄暗く
なっていた。
冷静に判断して、おおよその位置がE=2であると踏んだ。なんだ、よく考えればここは三島幸正と対峙した場所じゃ
ないか。いつの間にか、出発地点に戻ってきていたのだ、自分は。

「吉田」

そして、あたしがここに戻って来ることが解っていたのだろうか。示し合わせたように、その声は、優しく、あたしを包
み込んだ。
振り向いて、その姿を確認して、そして安堵して、その場に崩れ落ちる。

「西野君……」

放送直前、実に5時間45分の時を経て、あたし達はやっと、再会した。



【残り4人】





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