第一章 合格発表 − 3 月曜日。 昭平は、授業開始20分前に三年生唯一の三年A組に席についていた。とくに理由などはないが、なんとなく前田 綾香が気になって、いつもよりも10分早めに来てしまった。 別に前田が東高校に進学したって、それはそれで別に構わなかった。だが、親友であるはずの早紀にも受験するこ とを教えなかったということが、未だに腑におちなかった。 「あれ? 昭平、今日は早いんだ」 だが、教室にいたのは祐介と早紀のみ。相変わらずこの二人は毎朝早く学校に来ているようだ。勿論、既に受験が 終わった今、二人仲良く学習参考書や赤本を読んでいるということは無かったが。 「ああ。ちょっと、気になることがあってな。前田は来てないのか?」 「ん、綾香? いつもだったらもうそろそろで着く頃だけど」 そして、そのまま10分が経過した。だがその間に登校してきたのは、二人仲良く手をつないできた中野智樹(男子 六番)と栗田真帆(女子二番)、それに一人で来た都築優子(女子四番)で、目的の前田綾香は姿を見せなかった。 「おかしいなぁ、今日は欠席かな?」 早紀が、そう言った。 その後、ぞろぞろと問題児軍団も現れて、始業のチャイムがなる頃には既に15人の生徒が教室内にいた。やはり 前田だけがいない。 「やっぱり、休みなのかな? 珍しいね。綾香が休むなんて」 ガララ、と引き戸式の扉が開く。一瞬前田かと思ったが、現れたのは担任の稲葉だった。 「あれ? 稲葉じゃん。今日は早いんだね」 教室後方で町田が野次る。だが稲葉はいつもなら即反応するはずなのだが、今日は普通に無視して教卓に出席簿 を広げた。 「出席を取る。男子からな。浅野」 「……ん」 微かに聞き取れる声で、浅野雅晴(男子一番)は呟いた。雅晴は机に肘をつき、窓の外をぼんやりと見ている。浅 野は、もともとよくわからない奴だった。気がつけば、教室にいて、机に座っている。彼は必要な時以外は決して喋る ことのない、ある意味教師の指図も無視し続ける問題児だった。高校にも既に合格していて、いつの間に受けていた のか誰も知らない。成績は良いらしいのだが、どれほどいいのかも誰も知らない。いつしか教師も誰も彼を指名するこ とは無くなった。 「次、大原」 「あ、はい」 祐介は、慌てて手を挙げた。彼も雅晴のことを考えていたのだろうか。 「近藤」 「はい」「はーい」「ほいっと」 「随分近藤がいるな、この教室には」 勿論近藤という生徒は一人しかいない。おそらく気の弱い近藤を後ろの連中がからかっているのだろう。 その後も出席確認は続いて、都築優子が呼ばれた。 「はい、前田ぁ」 静寂。 「あれ? 前田ぁ、いないのか?」 「別に休んだっていいじゃん。綾香だって欠席することもあるよ」 「そうもいかないんだよ、伊藤。今日はみんながいなくちゃ」 「え? なんかクラスイベントでもやるんですか?」 「卒業パーティーかなんかか?」 「バーカ。稲葉がそんなことするわけないだろ」 クラス内がざわめく。昭平はそんな中そっと稲葉を見てみたが、相変わらずにやついているいつもの顔からは、何を 考えているのか全くわからなかった。 「いや、別にパーティーなんてするつもりはないけどな。ちょっとイベントがあるといえばある。それに関して一時間目 は職員会議があるんだ。適当に思い出でも語っておいておくれ。じゃ、行ってくる」 「ふん、帰ってこなくたっていいんだぞぉ」 町田がそう野次ったが、稲葉は全く無視してそそくさと去っていってしまった。まだ出席の途中だったのに、なんという 適当さだろうか。 「まぁ、いいや。どうせみんな卒業してバラバラになるんだ。とりあえず、今までのことは一切無しにして、今まで隠し 通してきた人には言えないようなこと、ぶっちゃけようぜ」 そして、強引に町田が企画を立てる。意外と町田が立てる企画は面白いものばかりで、まさに卒業前のネタバレとし ては、実にいい企画といえる。 「じゃあ、最初。出席番号順に伊藤からな」 「な、なんで私なのよ! 普通男子からいくものでしょ!」 いきなり町田に指名された早紀は、慌てて顔の前で手を振っていた。たしかに、出席番号順といえば男子一番の 浅野からが普通なはずだか、こういう遊び心も町田の意外な才能だろうか。 一方、早紀も学級委員としての人望は厚かったし、大抵の生徒とは交流はあった。町田や矢島も、彼女のことは認 めていて、誰もが彼女のことを認めていた。それだけに、彼女のネタバレトークは気になっているのだろう。正直、昭 平も気になってはいた。 クラス中の視線を感じて、言わなくてはならない状況だと判断したのか、早紀はゆっくりと口を開いた。 「私、ネコババしたことあるの」 瞬間、驚愕の声がクラス中を駆け巡った。 「ウッソー! マジで? なんでなんで? 信じられない!」 小島奈美(女子三番)が早紀に詰め寄る。昭平自身も、普通に驚いた。そんなことをしたなんて……、犯罪じゃない のか? 「あれは夏休みだったわね。帰り道に、茶色い革の財布が落ちているのを見つけたのよ。それで、中を覗いてみると 万札が三枚入ってた。それで、つい魔が差しちゃって……。内緒だからね!」 「で、その財布は交番に届けたの?」 祐介が、せわしなく聞いた。 「勿論届けるわけないじゃない。中身すったことがばれたら大変だもん。その辺の草むらに投げ捨てておいたわよ」 おぉ、と教室内がどよめく。 「流石伊藤だな。あくどい事をやるときも頭脳派だしよ」 その時、突然教室のドアがさっと開いた。まさか、稲葉が今の話を聞いたのかと思い(早紀も同じことを考えていた のだろう。顔が引きつっていた)、慌てて口をふさいだが、外に立っているのは前田綾香だった。 「なんだ、前田かよ」 「え、何なの?」 きょとんとしている前田は、何がおきているのかわからないらしい。昭平は説明した。 「一時間目は緊急会議だかなんかで自習だってさ。だからみんなでぶっちゃけトークしてるわけ。前田の方こそどうし たんだよ?」 「え、ただの遅刻よ」 ほぉ、とみんなが胸を撫で下ろした。 それから、今度は遅れてきた罰だとか言って、町田は前田にぶっちゃけトークをするように促した。前田は困ったよ うな顔をして、早紀を見つめる。 「そんな顔したって駄目よ。私だって、ネコババしたこと話したんだからね。綾香も何か喋りなさい」 「そ、そんなぁ……」 そんな光景を見ながら、昭平はほっと胸を撫で下ろした。 なんだ。このクラス、案外仲良かったんじゃないか。そりゃ、問題児が沢山いるクラスだけれども、あくまでそれは大 人に対してだけだ(大人ぶる近藤を締め上げるのも納得できるし)。今、クラスは一つになって、賑やかに話し合って いる。やっぱり、卒業するということは、あらためてそういうことを教えてくれる機会なのだろうか。 ふと、教室の隅で目立たない位置に座っている若本千夏(女子八番)の姿が目に付いた。随分と顔色が悪い。 若本千夏は、病気のしがちな女子の中で唯一眼鏡をかけた女の子だった。今の時代の流行のように、髪を染めたり スカートを短くすることもない。ハイソックスから覗ける白い足が、とても綺麗だなと感じたこともあった。つまりは、純 粋な子なのだ。 問題児の多い(もっとも、大人達から見てだが)このクラスにとって彼女は、数少ない真面目の烙印を押された子だ。 ただ、病弱な体だったので、クラスメイトからは常に心配され続けているのが気に入らないらしく、自分達とはある程 度の距離をとっている。 なんとなく気になったので、昭平は彼女に近づいた。 「どうした、若本? 顔色悪いぞ」 若本はいきなり声をかけられたことに驚いたらしく、はっとして昭平の方を向いたが、すぐに苦痛の色を見せた。 「なんだ。どっか、痛いのか?」 「ううん、大丈夫。心配しないで……。ただの生理痛だから……」 首を横に振る若本を見る限り、とても大丈夫そうには見えない。昭平はどうしようか迷い、そして早紀に声をかけた。 「伊藤。あのさ、若本が具合悪そうなんだけれど」 「え、千夏が? あ、そういえばそろそろ生理だったっけ」 「は? そんなこと知ってんのか?」 「もっちろんよ。結構女子達の間では、そういうのを知っているもんよ」 なるほど、そうだったのか。 って今はそんなことをしている場合じゃない。どうすれば痛みをやわらげられるのだろうか。 「そんなの二、三日経てば治るわよ。それは女の子にしかわからないものなの。男子は黙ってなさい」 「……わかったよ。じゃ、適当に保健室行って薬でも貰って来るよ」 「はいはい、いってらっしゃーい」 女子というものはよくわからない。男子の考え方と根本的に違うものがあるようだ。昭平はそんなことを考えながら、 教室の扉を開けようとした。 開かない。 「あれ? おっかしいなぁ」 先ほど、前田綾香が入ってきた時には確かに開いていたその扉が、今は開かなかった。これだけ教室が荒れてい るのだから仕方ないと思いながらも、突然開かなくなるというのは変だった。立て付けが悪いというわけではないだろ う。 と、突然強烈に睡魔に襲われた。何故だかわからないが、ひどく体がだるくなっていることに気がついた。ああ、この 頃受験終わって夜更かしばかりしていたからなぁ。 「あれ、昭平。どうしたの?」 祐介の声が聞こえる。はるか、彼方で自分を呼ぶ声が聞こえる。 だが、それたけだった。 今、入り口から噴出されていた催眠ガスを直に吸い込んでしまった昭平は深い深い沼の底へと、沈んでしまってい た。 西中の校庭に、一台のバスが待機していた。その中から出てきた迷彩服を着た兵士達は、黙ってこの学校の唯一 の三学年の教室へと踏み込み、全員が眠りふけっていることを確認すると、乱雑に担ぎ上げ、バスへと放り込んでい った。 その様子を見ていた他の学年の生徒達は、なんとなく事情を察知し、哀れみの目を先輩達へと向けた。 一方、教師陣は哀れみの目よりも、むしろ清々としたような目をしていた。中でも職員会議を終えて会議室から出て きた稲葉は、運ばれていく生徒たちを見て、大笑いしていた。 そんな光景を、残された生徒達は震えながら見ている。 徐々に、学校が崩壊しつつあった。 戻る / 目次 / 進む |