第二章 天国と地獄 − 4 闇の中、誰かに連れて行かれる夢を見た。 まだ少年だった彼は、闇の中のそれに怯えていた。 昭平は、ふと幻想の世界から現実の世界へ戻ってきた。なんとなく夢を見ていた記憶があるのだが、一体どんな夢 だったのだろうか。喉まで言葉が来ているのに、なかなか出てこない。非常に気になる。 気になるといえば、今のこの状況だ。薄暗い教室の中だろうか。気がつけば、昭平は床に突っ伏していた。 あれ、いっけねぇ。俺、なんでこんな地べたで寝ていたんだろう。 汚いなぁ、ああ、ほら。手の甲がなんか黒ずんでいるよ。 そして、辺りを見回すと、なんと他のクラスメイトも床に突っ伏していたのだ。それだけではない。今自分達がいるこの 教室は、見慣れた教室ではない。何一つ壊れているものがない、簡単に言えば普通の教室だった。何故か、机は一 つも置かれていなかったが。 昭平は一体何が起きているのか理解することも出来ずに、辺りをキョロキョロと見回した。ひぃふぅみぃ……、間違い ない。西中のクラスメイト16名は全員いる。一体、ここは何処なのか? どうして自分達はここにいるのか? ふと、昭平は視線を感じた。こんな薄暗い教室で、誰も起きていないというのに。視線を感じた方向にあるのは、教室 内で唯一存在している家具、教卓の前に立っている人物だ。 「稲葉……?」 そう、担任の稲葉だ。稲葉が、じっと昭平を見据えている。 「おい、これどうなってんだよ? 一体何なんだよ?」 今、自分は質問しなくてはならない。少しでも早く、今自分達が立たされているこの状況を把握するべきなのだ。 だが、稲葉は口元に笑みを浮かべ、相変わらず半笑いの表情を浮かべたまま、黙って昭平の方を見据えていた。目 元だけはいつもの、淡々とした目だ。決して、笑うことのない目。 なんとなく稲葉に恐怖を感じ、冷や汗が出てくる。汚い、と首筋を擦ったのだが、そこには柔らかい肌の感触は無かっ た。ひんやりとした、金属の感触がそこにはあった。 なんだろう、これ。指先でとんとんと叩くと、コツコツと金属の音が返ってくる。そっと、握る。その輪っかは、カチャリと 音を立てた。その存在を確認した途端、急に息苦しくなってきた。首の肉にがっちりと食い込んでいるその輪っかは、 自分を締め付けているような圧迫感を与えてきていた。 頭の中で非常事態宣言が発令されている。今すぐにでもここから逃げ出さなきゃならない状況だということを、その金 属の塊は教えてくれた。まずは、今でも床でだらしなく寝ているクラスメイトを叩き起こすべきだ。昭平は、隣で寝てい た女子、前田綾香を揺さぶった。 「前田、起きろ。おい、前田」 「うぅ〜ん……誰、何よ?」 寝ぼけ眼の前田は上半身を起こして、目をさすっている。だが、昭平は前田綾香にも恐らく自分と同じであろう金属 の塊が首に装着されているのを確認して、今自分達が大変危険な状況に立たされていることを改めて実感した。 「前田、その首……」 思わず自分の首元を指差した。前田も何か首筋に変な感触があることを確認したらしく、自分で触り、そして擦って、 驚愕の顔を昭平に向けた。一体何なのか、そういう感じの顔だった。勿論昭平自身、何が起きているのかはわから なかったし、わかりたくもなかった。 続いて、後ろに寝そべっている男子を起こす。それが中野智樹(男子六番)なのだということを知ったとき、初めて昭 平は自分達がおおよそ出席番号順に座らされていることに気がついた。 「ん……、え? あ、高松君、どうしたの?」 おとなしくて真面目な印象を持つ中野は、そのくりくりっとした目を昭平に向けている。いきなり質問されても、自分も 状況が理解できなかったので、適当に首を振っておいた。中野はそのまま視線の先に稲葉がいることに気がついた らしく、言った。 「稲葉センセー。あの……、これ。何ですか?」 稲葉のことを先生と真面目に呼ぶのは、このクラスでは珍しいことだった。稲葉を先生と呼ぶ人物は、男子ではこの 中野智樹のみ。女子では委員長の伊藤早紀と、栗田真帆(女子二番)。そして若本千夏(女子八番)くらいなもの だ。もっとも、中野と若本以外は、全員陰で稲葉と呼び捨てにしているのだが。 稲葉もそれを知っているのだろうか、基本的にこの二人には八つ当たりや怒りをぶちまけることはない。今も中野が 質問したからであろう。稲葉は教卓から離れ、扉の前まで歩いた。途端、教室内に照明が点った(恐らく扉の前にス イッチがあったのだ)。薄暗い教室に慣れていた昭平達三人は、突然の眩い光に思わず目が眩んだ。 その蛍光灯の影響だろうか。教室内で突っ伏していた他の生徒達も、徐々に目が覚めているようだ。 「さて、二時間目だ。そろそろ起きなさい」 二時間目と聞いて、昭平ははっと気付き、手首に付けた腕時計を見る。デジタル表示でそこには『AM 10 : 00』の光 が放たれていた。丁度、二時間目が始まる時刻だった。90分授業のこの学校は、とにかくだるい。一番辛い二時間 目の時刻が今始まっているということは、自分達は一時間ほど寝ていたということになるのだろう。 改めて教室内をぐるりと見渡すと、クラスメイト全員が既に起きていた。それぞれ、床にぺたりと座り込んでいたり、 なんか膝立ちしていたり、あぐらをかいたりとしている。この状況が上手く飲み込めないのからなのかどうかは知らな いが、全員黙っていた。 「二時間目は、課外授業をすることになった」 そんな中、稲葉がゆっくりと口を開いた。突然、後方で誰かが立ち上がるのが見えた。間違えるはずがない。あの身 長190センチを超える巨体は、町田しかいないのだから。 「今さら、授業をするだと? ふざけるなよ。もう受験は終わったんだ。そんなの受けなくたってイイだろ、なぁ?」 町田がそう言ってクラスメイトに同意を求めると、平山正志(男子七番)も立ち上がって言った。 「俺も町田に賛成だ。だいたいさ、何の授業すんだよ? かくれんぼや鬼ごっこでもするってぇのなら別に俺はいいけ どね」 クスクスと女子達が笑っている。町田と正志。この二人がまず稲葉に先制パンチを食らわせる。あとは稲葉の自滅を 待つだけでいいのだ。 だが、稲葉は相変わらず半笑いの表情を浮かべたまま、おもむろに何かを投げつけた。その物体はまっすぐに町田と 正志の方向へと飛んでいき、咄嗟に避けた二人の後方の壁に当たって、カランと情けない音を出して砕けた。チョー クだ。 既に、稲葉の顔からは笑みが消えていた。 「ああ、いいさ。やってやるとも、最高のゲームをな」 「で、何やんのさ?」 そんな稲葉には興味を見せずに、座り込んだまま矢島依子(女子六番)が稲葉を睨みつけている。 「簡単だよ。今日はお前らにイベントを行ってもらう」 「だからなんなんだって?」 稲葉は、矢島をきっと睨みつけると、再び口元がにやつき始めていた。昭平はそんな稲葉を憎々しげに見て、次の言 葉を待った。そう、それは、想像以上に厳しい現実だった。 「今日はな、お前ら同士で殺し合ってもらう」 瞬間。教室は凍った。 昭平自身、何を言っているのか理解できなかった。殺し合いをするという意味が、理解できなかった。また何かの冗 談かと思ったが、稲葉は決してこんな面白い冗談なんか言える性質ではない。目は相変わらず淡々としていたし、嘘 には聞こえない。 そう、思い出してしまった。遥か昔、小学生の時に授業で教わった政府の法案のこと。戦闘実験第68番プログラム、 だったかな。まさか、まさかこれが……そうなのか? 「何言ってんだか理解できません」 早紀が一番前の方で稲葉に挑発をかけている。そのなめた態度に、遂に稲葉は怒りを露わにした。 「いいかお前ら! 殺し合いをお前らにやってもらうんだよ、こ・ろ・し・あ・い! こんな簡単な単語の意味もわからなく なっちゃったってかぁ? おめでたいことだな! つまりプログラムだよ、プログラム。餓鬼の時に習っただろこのボケ が! それともなんだ伊藤! 俺になんか文句でもあるって言うのか? 言ってみろ!」 早紀は、突然怒り出した稲葉に指名されて、戸惑っていた。そりゃそうだ。意味がわからないから聞いただけなの に、馬鹿呼ばわりされた挙句に強制だ。理不尽にも程がある。昭平は我慢できなくなって、思わず叫んでしまった。 「稲葉! これは……、本当にプログラムなのか?」 クラスメイトの視線が稲葉に集中する。誰も、何も話していない。 「高松、お前は耳が悪いのか? 何回言ったらわかるんだよ? この俺が嘘を言うとでも思ったか? これは夢でも妄 想でもない、まぎれもない現実だ! お前らは最後の一人になるまで戦い続けるんだよ!」 昭平の心の中で、足元がガララッ、と崩れる音がした。 誰かが、息を呑んだ。 【残り16人】 「よーし、それじゃあ、簡単にルール説明するからな。耳の穴かっぽじってよく聞けよ」 稲葉はそう言うと、教卓の中から大きめの模造紙を取り出した。紙がかさばる音がして、静まり返った教室内に響 き渡っている。稲葉は背中を向けて、黒板にその紙をマグネットで固定した。 「さて、と。そろそろ入って来て貰っていい頃だな。おーい、もう入ってきていいぞー」 そう稲葉が叫ぶと、ガチャガチャと錠を開ける音が外から聞こえた。昭平がそちらを向くと、丁度教室の扉が開いたと ころだった。その奥に、女性の姿が見える。 その女性は教室に入ってきた。いかにも品がよさそうな、優雅な仕草をしていた。その後に続いて入ってきたのは迷 彩服を着て、小銃を構えた共和国の兵士達だ。革の黒いブーツの音が響く。全部で入ってきたのは二人。体格の大 きい男と、少し小さくて太りめの男だ。 「じゃ、早速紹介する。この三人は、今回お前らがするプログラムの補佐をしてくれる水島。そして兵士の石田と村崎 だ。俺も初めてだからな、プログラムを見守ってくれるから、安心してくれよ」 何が安心してくれ、だ。昭平は心の中でそう毒づいた。水島と呼ばれた女性は、今の言葉が気に入らなかったのか 顔をしかめているし、兵士二人もじっと稲葉のことを睨みつけている。あんた、兵士達にも嫌われてるんじゃないの? それはそうと、稲葉が黒板に貼り付けた模造紙を見た。それはどうやら地図らしく、正方形の四角い表の中に地図 記号らしきものが書き込まれている。これは、一体何なのだろうか? 多分、この近辺の地図か何かということなの だろうが。 「ま、自己紹介はいいか。とにかくこの地図を見てくれ。これは、これからお前らが殺し合いをする会場地図だ。縦横 一キロに区切られた会場で、これ以上外に行くのは反則だからな。強制退場処分とさせてもらう」 強制退場処分? 一体なんだ、それは? 続けて稲葉は、淡々と言った。 「ああ、強制退場処分というのは、つまりは死んでもらうんだ」 「な?」と誰かが声をあげた。そう、今稲葉は間違いなく『死んでもらう』と言ったのだ。違反者には死を、なんて台詞 はよく漫画とかで見るけれども、まさかそれが現実になるとは、いやはや。 「そう。お前らがこのゲームに参加している証明として、今お前らは全員が平等に首輪を付けられているはずだ。それ は政府の連中が作ったもので、お前らが何処にいるか、死んでいるのかいないのか、そういった役割を基本的にはし てもらう。ただし」 前に座っている杉本高志(男子四番)が、その言葉でやっとその存在に気がついたのか、首輪を弄っていた。その 首下にまとわりついているそれが気に入らないのか、外そうと引っ張ったりしている。 「それ、爆発するぞ。杉本、下手に弄くるな」 稲葉もそれに気がついたのか、そう言った。杉本は反射的に手を離して、手を地面に置いた。流石元バスケ部、反射 神経が鋭い。 「そう。その首輪は、爆発する。お前らが何かしら違反行為をした場合、このゲームから退場させるために、爆発する んだ」 「ちょっと待ってください」 目の前で、杉本が遮った。よほどの汗をかいていることが、昭平には後ろからでもわかった。 「なんだ杉本? 説明の途中だぞ」 「あの……。これ、爆発したら、死んじゃいません?」 首輪が爆発する。確かに稲葉はそう言いきった。だが、よく考えてみろ。首元で爆弾が爆発するんだぞ? 果たして 生きていられる奴がいるのか? 「死ぬよ、確実に。これはお前らが会場の外に出た途端爆発するし、もし24時間の間誰も死ななかった時にも、全員 の首輪が爆発する。お前らは、殺し合いをするしかないんだ」 「そんな……」 「それからな、この地図にも書いてある通り、会場は全部で25個のエリアに区分されている。このエリアが、ランダム に禁止エリアに指定される。勿論、禁止エリアに指定された所に入り込んでも、首輪は爆発する。一箇所にとどまる 事だって、できやしないんだ」 なにか、とてもそれは理不尽なルールだったが、だからといって聞き逃すわけにはいかない。杉本は放心して、床に へたり込んでいる。それを見つつも、昭平は稲葉の話に集中した。 「禁止エリアについては、毎日零時と六時の計四回、放送で知らせる。放送で知らされる内容は、その時点で死亡し ている生徒の発表、そして二時間ごとに指定される禁止エリアの発表だ。ただし、今お前らがいるこのエリアE=4だ が、ここは全員が出発してから20分後に禁止エリアに指定されるから、注意しとけ。以上、ここまでで何か質問はあ るか?」 淡々とした説明。先ほど早紀や昭平を罵倒した勢いは何処へ行ってしまったのだろうか、その面影は何処にも感じ られない。あくまでそれは面倒くさそうで、さっさと殺し合いをして欲しいような感じだった。 ふざけるな、俺達は殺し合いなんかしない。大人になんか、絶対に従うもんか。こんなゲーム、糞くらえだ。だから、 質問なんて何もない。恐らくみんなもないだろうと高をくくり、教室内をグルリと見回すと、後ろのほうで誰かが手を上 げているのが見えた。 「何だ、若本?」 それが若本千夏だとわかったとき、既に若本は立っていた。 「先生、これ、辞退とかできないんですか?」 「何を寝ぼけたことを。出来ないに決まっているだろう」 「でも、私たち、受験も終わって、やっとあとは中学を卒業するだけだったんです。なのに、なんで今頃プログラムなん ですか?」 「若本。お前、授業で習わなかったか? 全てにおいてプログラムの対象校は平等に指定されるってことを。最後の 第50号にお前らが選ばれた、それだけのことだ」 「そんな……、じゃあ、なんで先生はここにいるんですか? 普通なら、担任の先生は学校で待機しているはずでしょ う?」 「そんなことは簡単だ。俺はお前らが大嫌いだ。お前らが死ぬところをな、一回くらいは見納めに見ておきたいと思っ たものでね」 「ひどい!」 昭平は、そのやり取りを不安げに眺めていた。稲葉は若本千夏や、中野智樹に対しては意外と優しい。授業を素直 に聞いているせいもあるのだろうが、おそらくきちんと『先生』と呼んでいるからであろう。 だが、その稲葉にとってマシな存在だった若本が反抗していることに、稲葉はいらだっているようだった。 「なんで先生は私たちが選ばれたことに反対しなかったんですか? そんなに私たちに死んで欲しかったのですか? 何故ですか、理由を言って下さい!」 「黙れ若本!」 わかっていたことだが、遂に稲葉は若本に対してもキレた。昭平自身、若本の行動には驚いていた。普段から飼育 委員をしていて、学校で飼っているウサギの世話をしたりと、穏やかな性格だと思っていた若本が、稲葉に対して怒 っているのだ。具合が悪いといって保健室に行こうとしていたのに、その元気は一体何処から湧き出ているのだ? その若本は初めて稲葉に怒鳴られた事が効いたのか、だが少したじろいだだけですぐに稲葉を睨みつけた。 「先生、見損ないました。今だから言いますけれど、先生はどうでもよかったんですよね、私たちのこと。死んだって別 にどうだっていいんですよね。教育者、失格ですよ」 「若本……、随分と反抗的になったもんだなぁ。俺、ちょっと悲しいぞ。お前は俺を支持してくれていると思ったんだけ れどなぁ」 「支持? 誰が先生を支持すると思っているんですか? 大体貴方は、生徒が何か質問しても、いつも無視し続けて いたでしょう。唐突に何か発案したものを勝手に決めて私たちに押し付けるし、ちょっとでも自分の思う通りにならない と怒り出す。これじゃあ誰も貴方なんて支持しませんよ。支持する筈がないじゃないですか」 若本の鬱憤が、これまでに彼女の中に溜まっていた不満、愚痴が全て流れ出ていた。それは本当に適切な言葉 で、完結に、そして丁寧にまとめられていた。この教室にいる誰もが、同じことを感じていたはずだ。いいぞ若本、もっ と言ってやれ。 その時だ。稲葉が懐から、黒い無骨な塊を取り出したのは。 「若本。そのくらいにしておかないと、後悔するぞ」 拳銃だ。映画か何かで見たことのある、それは紛れもない拳銃だった。何故稲葉がそんなものを持っているのかどう かはともかく、突然拳銃が出てきたことに、昭平は驚きと同時に、稲葉に対して恐怖感を抱いていた。 「また、そうやって威嚇するんですか? 貴方にはもうついていけません。本当のことを言われると怒るっていうのは、 どうやら本当らしいですね」 タァン! 突然教室内に響いた銃声は、昭平の鼓膜を激しく振動させた。キーンという耳鳴りの後、後ろを振り向いてみると、 若本が固まって立っていた。弾は若本のすぐ脇へずれたらしく、後ろの壁が少しばかり崩れていた。実弾だ、まぎれ もない、実弾なのだ。 「威嚇じゃない。最終勧告だ、若本。おとなしくしてくれ」 若本は、キッと稲葉を睨むと、そのまま座ることなく、稲葉に対して中指を突き上げた。 「よせ! 若本、よすんだ!」 咄嗟に危険を感じた昭平は、そう叫んだ。稲葉の目は本気だ、誰が見てもわかる。今にも引き金を引きそうな稲葉 に、何故若本はそんなことが出来るのだ? 若本は、昭平に対してふっと微笑を投げかけると、再び稲葉の方を向いた。もう、睨んでもいなかった。 「これで貴方が私を殺したって、貴方は変わりはしない。残るのは、罪悪感だけなんだから」 「そうか、わかったよ、若本」 次の瞬間、一気に稲葉の顔が狂気に満ちるのがわかった。そして、再びタァン、と銃声がして、昭平の鼓膜を振る わせた。脇で、若本がゆっくりと倒れていくのがわかった。 「若本!」 昭平はそう叫んで、急いで近寄った。近くにいた町田は、稲葉を睨みつけながら、チラリと若本を見て、そして目を伏 せていた。 「若本……」 昭平は、若本の体を見て、たじろいだ。顔の中央にぽっかりと空いた穴。そこから吹き出ているおびただしい量の血。 明らかに、それは死んでいた。もうそれが若本千夏だとわからないほど、顔はぐちゃぐちゃになっていた。血が床に広 がり、跪いている昭平のズボンに染み込んでいく。頭部の反対側には、なにかドロリとしたものがはみ出ていて、そ れが脳味噌なのだとわかるには、数秒を要した。 不思議な、気分だった。つい先ほどまで、稲葉を中傷していた若本。生理痛が痛いのを必死に我慢していた若本。 早朝、ウサギに餌をやりに来ていた若本。眠そうな体を必死に起こして、国語の作文を書いていた若本。そして、今 し方、自分に対して微笑んだ若本。その若本が、死んでいるということが、不思議だった。彼女は、もういないのだ。 それはわかっているはずなのに、こんな状態でとても生きていられる筈などないのに、何故か実感できなかった。死 が、わからなかった。 「いやぁぁっ!」 栗田真帆(女子二番)が悲鳴をあげると同時に、中野が、前田が、杉本が、全員が叫んだ。そして、パニック状態に 陥った。 教室中をクラスメイトが逃げ惑う中、昭平は若本の死体を、じっと見つめていた。何か、こう、もやもやっとした気持ち。 突然その人の存在がなくなってしまったということが、どうにもわからないという不思議な感覚。何もかもが、虚無だっ た。 同様に、若本の死体を見つめていて、周りのパニックに動じていない生徒が何人かいた。町田と、平山正志(男子七 番)、そして矢島依子(女子六番)だ。三人とも、若本の死体と稲葉を両方睨んでいる。 「静まれ! 静まりやがれ、この馬鹿どもがぁ!」 稲葉が逃げ惑う生徒達を威嚇発砲した。二、三発銃声が鳴り響くと、全員が地面に伏せていた。最初に悲鳴をあげ た栗田真帆だけが、まだ床にへたり込んで呻き声をあげている。その両の瞳からは、涙があふれ出ていた。 そんな栗田に、稲葉は銃口を向ける。 「静かにしろよ、うるせぇんだよ」 ひっ、ひっ、と口を両手でふさぐ栗田。だが、声は収まることを感じさせることはない。 「仕方ないな」 また、撃つ気だ! そう思って、何とかしようと思ったのだが、不思議と体が動かなかった。果たしてそれが若本の死 というショックによるものなのか、それともただ単に稲葉を怒らせて自分が殺される、つまり『若本と同じ状態』にされ るのが嫌なだけなのかはわからない。 その時だ。稲葉と栗田の間に、割って入る者がいた。 「あのさ、これ……生徒達の戦闘実験が目的なんですよね。これ以上、無駄に殺さない方がいいんじゃないスか?」 祐介だった。祐介が、今にも発砲しそうな稲葉に、立ち向かったのだった。栗田が、祐介にすがりついている。 「んだとぉ? 大原、お前も死にたいのか?」 「稲葉先生、その生徒の言うとおりです。これ以上無駄に生徒を殺すのはどうかと思いますが」 稲葉が祐介を殺しそうになった時、今度はあの水島という女性が、稲葉にそう言った。 一瞬でも祐介が殺されると思った昭平は、その一言を聞いて稲葉が銃を下げるのを見て、ほぉっ、と息を撫で下ろし た。その女性に対して、なんだか御礼を言わなければならない気がした。 もう、沢山だ。クラスメイトが死ぬなんてこと、嫌なんだ。 「ふん……大原、命拾いしたな」 そう捨て台詞を残して、稲葉は教卓に戻った。 「命拾い? どういう意味スか?」 祐介がそう言ったので、昭平は再びギクリとした。今の状態の稲葉なら、あの水島という女性の言うとおり、簡単に生 徒は殺さないと思うが、若本の一件が再び起こりそうで、怖かった。 「命拾いだよ。大原、お前栗田と同じ二番だったよな」 「そうだけど、それが何か?」 稲葉はチョークを取り出すと、黒板に何か書き始めた。それはすぐに書き終わり、再び生徒達の方へ向き直る。 「連動2……? なんスか?」 「今回の第50号プログラムは、特別ルールなんだ。この『連動2』は、勝手に俺が付けた命名なんだが」 「特別……ルール?」 「そうだ。通常のプログラムでは、最後の一人になるまで殺し合いを続けなければならない。だが、今回のプログラム では生き残ることが出来るのは二人だ」 「なんだって?」 二人、生き残ることが出来る? それは、つまり。最後の二人が生きて帰ることが出来るということなのか? 「今回、お前らには出席番号でペアを組んでもらっている。最後まで生き残っていたペアが、優勝となるんだ。そして な、町田。ここからが重要だから、よく聞いとけ」 唐突に名指しされた町田は、自分を指差して「俺かよ」と呟いていた。一体、なんなのだろうか。 「その首輪は、ペア同士で連動しててな、ペアが死亡するとペナルティが与えられるんだ。つまり、ペアが死亡してか ら三分後、首輪が爆発する」 「な?!」 町田が勢いよく立ち上がった。 若本千夏、町田宏。互いに出席番号八番。 「お、おい? どうなってんだよ、それは!」 その時だ、突然教室内に、ピ、ピ、と電子音が鳴り響きだした。みんなが辺りを見回すと、町田の首輪の中央部分の 黒画面が、赤く点滅していた。 「え、え? 何だよ? 何なんだよ!」 「気の毒だったな、町田。その電子音は、爆発一分前の合図だ」 昭平は、その突然の出来事に頭で対処することが困難な状態になっていた。町田の首輪が爆発する。ペアが死ん だから爆発する。その意味がわからず、だが同時に、自分と同じ出席番号五番の前田綾香が死亡すると、自分も死 んでしまうのだということは納得できた。 「おい、ふざけんじゃねぇよ! 稲葉、何かこの爆発を止める方法があるんだろ? 早く言ってくれよ!」 爆発を、止める方法? そんなもの、あるのか? 「あるよ」 電子音が、大体一秒に一回鳴っていたのが、倍の早さ、つまり一秒に二回鳴るようになっていた。爆発の時間が近 づいているのだと、昭平にはわかった。 「誰でもいいから、殺せばいいんだ。誰かをお前が殺せば、お前は死ななくてすむ。お前、たしか護身用にナイフ持っ てたろ?」 稲葉がそう言い切ると同時に、クラスメイト全員が町田から離れた。昭平は、町田の顔が蒼白になっているのを確認 して、そっと後ずさりした。そして、自分がとんでもないことをしているのに気がついた。 ああ、自分は、逃げようとしている。町田が、みんなを襲いに来ると思っている。町田を、疑っているのだ。 「こ、殺せば……いいんだな?」 「そうだよ。ほら、残された時間はないぞ」 電子音が、さらに短くなっていく。教室内が妙に静まり返っている中、ピピピピピピとせわしなく鳴り続ける首輪が、み んなに恐怖感を植え付けていた。 「くっそぉー!」 町田が突然咆哮を上げる。いきなり腰からナイフを取り出して、刃を抜き出した。そして、走り出した。 誰だ? 誰だ? 一体、町田は誰を狙っているんだ? 直線方向上に、床にへたり込んでいる都築優子(女子四番)がいた。その彼女の目が、明らかに町田を捉えていた。 逃げろ、都築! そう叫びたかったが、声が上手く出なかった。都築も同じなのだ。逃げたくても、逃げ出せないの だ。恐怖の二文字に捉われて、体の自由が利かないのだ。 「いやぁっ! こないでぇっ!」 しかし町田はその声に動じることなく、一直線に刃を都築に向けた。もうターゲットは目の前だった。 その時だった。 誰かが、突進する町田に、タックルを横から咬ましたのは。 「ぶわっ!」 町田が横に転げる。そして、その目で突き飛ばした相手にナイフを構えたが、そこで動きが止まった。 「ひ、平山……!」 何故なら、そこには平山正志が立っていたのだから。誰もが信じられなかった。町田のよき理解者であり、よき相棒 であった正志が、床に転がっている町田を見据えていたのだから。 「どうして……?」 さらに町田が続ける。さらに電子音が早くなる。 「他の生徒を、巻き込むな」 「え、それって……?」 「お前一人が犠牲になればいいんだ」 瞬間、町田の顔が、初めて恐怖の顔一色になるのを、昭平は見た。首輪がピ――― 、と鳴り響いた。 そして。 突如ドォン、と爆音が教室内に響いた。それが首輪が爆発したのだと理解することにも、何故か時間が掛かった。 町田の喉元がばっくりと開いていて、そこから大量の血が吹き出ていた。 町田はもう、天井を見つめたまま動かない。 昭平は、もう迷わなかった。町田は、死んだんだ。間違いなく、死んだんだ、と。 不思議と、悲鳴は聞こえなかった。一分間の間鳴り響いていた電子音も今は止み、教室内は静まり返っていた。 誰もが、恐怖の二文字に捉われていた。 男子八番 町田 宏 女子八番 若本 千夏 死亡 【残り14人】 静まり返っていた教室に、血生臭い匂いが充満してきた。当たり前だ、短時間で、二人もの生徒が殺されたのだか ら。しかも、酷く惨忍な方法で。こんなことって、こんなことって……。 「ほぉ、平山。お前やる気満々じゃないか」 淡々とした声が、教室に響く。その平山正志はというと、顔を俯かせたまま、拳を握り締めている。 「うるせぇ……」 「あぁん? なんだ、もう一度言ってみろ」 平山は、きっと顔を上げて、稲葉を思いっきり睨みつけた。 「うるせぇっつってんだよ! 町田なんか、俺だって殺したくなかったんだよ! 仕方ねぇだろ、黙ってろ!」 そこまで正志は一気に喋ると、ぜいぜいと息を吐いた。 「……町田も町田だ。なんで、同じクラスメイトを殺そうとしたんだか俺にはわからない……俺なら……」 「ふぅん、俺なら?」 稲葉は、銃を構えることもなく、柄にも無く黙っている。 「俺なら、玉砕覚悟でテメェを殺してたぜ」 その言葉を聞いた瞬間、稲葉は大笑いしていた。あはははは、と馬鹿笑いするその口は、まるでカバのようだった。 残り14人となったクラスメイト全員が、その笑いをびくびくしながら見ている。正志も、呆気に取られて見ていた。 「面白い事言うなぁ、お前。上等上等、このままの調子でやる気になってくれ。応援してやるからな」 「この……くそったれが!」 だが正志は、そのまま床にへたり込んだ。無理に反抗しないのは、自分が殺されたとき、同じ出席番号の吉村美香 (女子七番)を巻き添えにしてしまうからだろう。彼らしいといえば、彼らしい。 そんな正志をクラスメイト達は不思議な目で見ていた。昭平自身、正志をじっと睨んでいた。別に正志が仕出かした 事は、悪いことではない。町田から都築優子を守るために行った行為は、本来ならば批判されるべきことではない筈 だ。 なのに。 なのに、正志は町田を殺したんだという気持ちが、一言では表すことのできない複雑な感情が、昭平の体内を巡りま わっている。みんなも同じだ。困った顔ではない、悲しみの顔でもない。同様に一言では表せないような表情で、じっ と正志のことを見ていた。 傍らで仰向けになって天井を眺めている町田の死体が、目に入った。身長190センチを越した巨体。ちょっと喧嘩っ 早いけれど、根は純情な町田も、もうこの世にはいない。若本同様に、精神の抜けたただの肉の塊に成り果ててしま った。 クラスの大木が抜けてしまったということで、なんとなく物足りない感じだった。それだけ、問題児ではあったが、町田 の存在は重要だったということなのだろうか。 ふと前に視線を移すと、いつの間にか兵士の石田と村崎が、前の方、教卓の脇にカーキ色をした大きめのデイパッ クを積み重ねていた。ドサドサッという音に気がついたのか、他の生徒も全員そちらの方を見ている。全部で16個の デイパックが、積み上げられた。 それを待っていたのか、稲葉が再び喋り始めた。 「さて、そろそろ出発してもらう時刻だが、その前にお前らに一人一個ずつこのデイパックを渡す。この中には、武器 が入っている」 「武器?」 矢島依子が、気だるそうに聞いた。そんな矢島を見て、稲葉は再び半笑いの表情を浮かべると、一つデイパックを取 り上げた。 「そう、例えばこれ。これは死んだ町田でも若本でもいいや、もともと配られる予定だったものだけれど、これは使わな いものとしてサンプル用に使わせてもらう。まず、武器以外に入っているものだ」 そう言いながら、稲葉は誰のものでもなくなったデイパックのジッパーを開け、中身を教卓の上にどんどん出していっ た。水の入ったペットボトルが二本、食料の入っている白い紙包みが二個、黒板に貼られた模造紙の地図の縮小 版、コンパスに筆記用具、懐中電灯。次々と出てくるそれは、本当に必要最低限のものでしかなかった。 「そして、武器だ。武器といっても、決して同じ武器が支給されることはない。全てランダムだ。殺し合いを進める上で 大変有利になるような武器もあれば、逆に使えないものもある。そのあたりは運命だと思って諦めるんだな、頑張っ て奪うという手もある。そして、このデイパックに入っていた武器は……」 稲葉はデイパックの中に再度手を突っ込み、中身をあさった。中から取り出されたのは、黒い塊だった。 「ほぅ、ソーコム・ピストルか。当たりだったんだな」 そう言って再びデイパックに全てをしまう。一瞬だけ見せられたそれは、まぎれもなく拳銃だった。武器といえば、てっ きり包丁やバットだと思っていた昭平にとって、それはショックだった。 拳銃まで、支給されているなんて……。 「まぁ、これは支給されないから、別にいいか」 稲葉はその拳銃の入ったデイパックを乱雑に教卓の中にしまうと、再び半笑いの表情を浮かべながら、自分達の方 を一瞥した。 「それじゃあ、出発してもらう。出席番号順に、ペア一組ずつ出て行って貰うんだが、三分間隔で出発だから……、え ーと。予定時刻が午前10時30分だから、午前11時8分にこのE=4は禁止エリアになるからな、呑気にここにいな いで、さっさと移動しとけよ。じゃあ、早速出発して貰う。浅野、伊藤」 「あ……私だ」 浅野雅晴(男子一番)と伊藤早紀が、いきなり名前を呼ばれた。浅野は黙って立ち上がり、兵士村崎からデイパッ クを受け取ると、教室の出口の前まで行った。 マジかよ。昭平は、その浅野の行動がひどく気になった。 あいつ、躊躇せずに立ち上がった。堂々としている。まるで自分はこのゲームを受け入れた、みたいじゃないか。 「ほら、伊藤。出発だぞ、立てよ」 はっと気がついて、前田綾香の隣に座っていた早紀を見る。早紀は、前田に抱きつきながら震えていた。 「いやです……、こんなの、私いやです……」 「そうか、お前も若本と同じように棄権したいのか?」 稲葉が、懐から銃を取り出そうとしているのが、昭平にはわかった。早紀がもしこのまま動かなかったら、早紀は… …。そして、浅野も……。 「伊藤。行くんだ」 早紀の泣き声以外に、凛とした声が教室内に響いた。正志が、早紀の方を向きながら、そう言っていた。 「伊藤、全員がこのゲームに乗るわけじゃない」 その言葉に誘われるように、早紀がよろよろと立ち上がる。 「早紀……!」 前田が、自分の胸元から離れていった早紀に向かって、半ば叫ぶように言った。 「絶対、死んじゃ駄目だからね……!」 だが早紀は、その言葉に応えることもなく、黙ってデイパックを村崎から受け取ると、振り返ることもなく、浅野と二人 で教室を出て行った。この瞬間、ゲームは始まったのである。 「じゃあ、次。大原、栗田、準備しとけ」 必然的に、次は祐介の名前が呼ばれた。あの時、命拾いをしたなと言われて困惑していた祐介の顔は、やはり早 紀同様かなり青ざめている。命拾いをした、か。もしあの時栗田真帆(女子二番)が叫び声がうるさいという理不尽な 理由で殺されていたとしたら、今頃は祐介も連動制の下、首輪が爆発して死んでいたということになる。 祐介が死ぬ。幼い頃から彼と行動を共にしてきた仲ということで、祐介がいなくなることなど、このかた一度も考え たことはない。だが、今回このプログラムで生き残る人数は二人としても、それはあくまで出席番号が同じ者というこ とだ。つまり、自分が生き残るときは、すなわち(あの特殊な条件が発動しなければ)前田綾香ということになる。 前田について、昭平は何も知らなかった。というよりむしろ、祐介以外のクラスメイトの、何も知らないことに気がつい た。特に家に行って遊んだというわけでもない。比較的仲のよかった正志でさえ、彼の家に行ったことはないのだ。な んて、自分の世間は狭かったのだろうか。 「さぁ、三分経った。出発だ」 稲葉が静まり返った教室でそう言い放った。 「よし……行くぞ、栗田」 祐介が、庇ってからずっと近くにいる栗田真帆の手を握って、立ち上がった。あの、いつも笑みを浮かべている祐介の 顔は、今や何処にも見当たらなかった。真剣な眼差しそのもの。いつもの祐介とは、かなり違っていることがわかっ た。 早紀と違い、栗田は覚悟が出来ていたのか、すんなりと立ち上がり、二人でデイパックを受け取ると出口の前で振り 返り、大きく手を振った。バイバイという意味なのだろうか。祐介と目が合った昭平は、なんだか泣きそうになってき た。 いや、まだこれで今生の別れというわけではない。祐介を、絶対に探してみせる。どうすればいいのかはわからない けれど、とりあえず、祐介と行動を共にしたかった。 昭平にとって、この待ち時間は、酷く長かった。 【残り14人】 戻る / 目次 / 進む |