第四章 最後の一組 − 13 「前田、ちょっと……いいかな?」 昭平は、今は隣の部屋にいる祐介と栗田真帆(女子二番)に気付かれないように、そっと前田に尋ねた。別に卑し いことではないのだが、あまり人前で話すようなものでもなかったからだ。 「何?」 首を傾けて座っている前田の眼が、とても丸くて愛らしい。その冷静なつんとしたイメージが抜けさえすれば、どんな に可愛い女子だったのだろう、前田綾香という女子生徒は。 「あの……さ、ずっと、聞きたかったんだ」 「……何を?」 なかなか、言葉が出なかった。ただ単に質問するだけなのに、どうしてこんなに戸惑うのだろうか。さっきまでは、普 通に話せていたはずなのに。 ああ、恥ずかしいのかもしれない。こんなこと、普通ならこんな状況では聞かないようなものだから。 でも、ここで知っておかないと、もう、ずっと後悔しそうで。 「前田は、さ。なんで……東を」 「おい、探知機に反応が出たぞ」 尋ねようとしたまさにその瞬間、隣の部屋で大原が声を張り上げているのが聴こえた。突然のその声で、会話は中 断する羽目になったが、むしろその情報の方が大事だった。探知機に反応が出たということは、すなわち正志達が自 分達を探しに来たということだ。 「おい、祐介。それ、本当か?」 知らず知らずのうちに、声のボリュームが上がっていった。気が付くと立ち上がっていて、隣の部屋へ続く扉を開けて いた。そこには同じく立っている祐介が、笑みを浮かべていた。 「嘘なんか言わないよ」 「それ、間違いなく本当なのね?」 後ろから前田が聞いた。すると、祐介は右手に握っていた支給武器の探知機を目の前に掲げた。よく見ると、左の方 に黄色い星印が二つ見える。これが、正志と吉村か。 「この探知機に間違いがなければ、西の方角に30メートル行ったところにいる筈さ」 「そう……」 祐介が自信満々にそう答えると、前田は不安なのか、そう呟いた。その表情が、昭平には納得できなかった。 「なんだ、前田。なんか、心配なことでもあんのか?」 昭平は少し不安になって、そっと尋ねた。だが、前田は首を振って、昭平に向けて苦笑いした。 「ううん、なんでもない。ただね……」 「ただ?」 「多分、あの二人は、クラスメイトを殺してる。さっきみたいに、安易に信用するわけにはいかないと思うの」 「はぁ?」 理解できなかった。つい先日会った時には、正志も吉村も自分達はやる気じゃないと宣言していたのだ。それが、 俺達を裏切るだって? そんなバカな話、あるか。 確かに、杉本と都築が矢島を殺していないのであれば、正志達は誰かしらを殺している筈だ。だけど、そんなことが あって良いのか? 「大丈夫だよ、前田。僕はあの二人を信じているし、裏切られたとしてもさ、もともとはやる気じゃなかったんでしょ? 説得すれば何とかなるよ」 祐介が、フォローを入れた。その後ろに目立たないように座っている栗田真帆を見やったが、彼女はただ黙っていた。 なんだか、わからなかった。関係がギクシャクしてきているのが、手に取るようにわかった。つい先ほどまでは何事 もなかったかのように、それがあたかも自然であるかのように一緒にいたのに、正志達が近くにいるとわかっただけ で、何かが崩れ始めていた。 「大丈夫だって、気にすんな。俺、迎えに行ってくるから」 このままじゃいけない。正直、今の出来事のせいで正志達に不信感を抱いてしまったものの、ただの予想に過ぎな いと考えて、昭平はそう言って座りかけた腰を再び持ち上げた。もう一度だけ、祐介の探知機で位置を確認すると、 玄関に向かって歩き出そうとした。 「高松君」 その時、ふいに前田に呼び止められて、昭平は振り返った。前田は深刻そうな顔をしていて、その手に拳銃を持って いた。 「ねぇ、高松君。あたし、不安だから……不安だから、これ、持ってってよ、お願い……!」 昭平は元いた部屋まで戻ると、前田から拳銃を黙って貰った。そしてそれをそのまま仕舞わずに、机の上にタンッ、 と音を立てて置いた。 「え……?」 きょとんとしている前田、そして祐介と栗田のほうに向けて、昭平は爽やかな笑みを浮かべた。 「俺、こんなもんいらないからさ。正志は今でも、これからもずっと信じ続ける。だから、こんなもの、必要ない筈だ ろ?」 「だって……でも、念の為に」 「心配するなって。万が一が来たって、俺は死なない。絶対に、死なないから」 何故だかわからないけれど、今の昭平には絶対的な自信があった。そんな確信が何処から来ているのかわからな い。だけど、自分だけは死なない、そんな気がしていた。 「じゃ、行って来る」 そう言い残して、今度こそ昭平は玄関の扉を開けた。西の方角ということは、家を出て向かって左の方に進めば良 い。そこに、正志達がいる筈なのだ。 玄関を出ると、そっと門戸のところから外へ顔を覗かせた。久々に外に出た影響か、既に誰も自分のことを狙うよう な人物はいないというのに、不安は拭いきれなかった。 そして、いた。左の道、距離は20メートル位だろうか、茶色い髪、男女。もう自分達以外に生きているのは、正志達し かいないのだ。間違える筈がない。 「正志!」 昭平は身を乗り出して、正志の名前を読んだ。明後日の方向を向いていた正志の体が一瞬ビクンと震えて、瞬時に こちらの方を向いた。昭平は、笑顔でその二人に、手を振った。 「正志、俺だよ。高松だよ!」 そんな……嘘だろ? その直後のことだった。昭平の顔に浮かんでいた笑みが、電光石火の如く消え去った。正志の手には、あの鉄の 塊、コルト・ガバメントが握られていたので。 咄嗟に顔を引っ込めた、その瞬間だった。 ズダァン! ガキッ、と派手な音を立てて、慌てて顔を引っ込めた部分の壁が崩れ落ちた。本当に、信じられなかった。 「おい、撃つな! 俺だって、正志!」 昭平は、バクンバクンと高鳴る心臓を抑えながら、物陰から必死にそう叫んだ。果たして、その声は聞こえたのだろ うか。 確認するべきだと思って顔を出した瞬間、さらに近い位置に正志が立っていた。そして。 ズダァン! さらにもう一発。鉛の弾が吐き出された途端、それまで昭平が築き上げてきた信頼という土台が、瞬時に崩れ去っ た。 間違いない。正志は、やる気になったんだ。俺達を殺そうとして、ずっと探していたんだ。 でもなんで? あれから、どういう経緯を経たらこんなゲームに参加する気になるというのだ? 一体、どうして? 「正志ぃ! どういうことなんだ、これは!」 「……裏切り者」 しん……と静まり返った住宅街で、正志の淡々としたその声が、何故か反響していた。少なくとも、昭平の心の中 に、その言葉は衝撃を与えた。 裏切り……者? 誰だ、それは? まさか……正志、それって、俺……なのか? 「正志……!」 「裏切り者め。そうやって、俺達を騙すつもりだったんだな」 ふと、唇が震えているのに気が付いた。 恐れているのだ、正志を。その、冷徹な声を。町田宏(男子八番)を殺す時に言い放ったそれと、酷似していたから。 「な……! 騙すって、どういうことだよ?」 「お前は信じていたのにな。お前のあの目は本物だったのにな。それなのに……、どうしてお前は、裏切ったんだ?」 昭平には、正志の言っている言葉の意味が、全くといっていいほどわからなかった。一体、正志の身に何があった のか、そんなことは関係ない。重要なのは、正志が自分の命を狙っている、という事実だった。 「矢島も、都築も、そして杉本も。みんなみんな、俺達を殺そうとして襲ってきた。高松。お前も、みんなを襲っているそ うじゃないか」 襲った……? それって、まさか……! 「誰に聞いたんだ、正志」 「杉本だよ。お前らに襲われて、身包み剥がされたそうだ」 やはり、それか。 でも、自分達は身を守る為に正当防衛としてやり返しただけだ。確かに武器は奪ったけれども、それは、仕方のない ことだろう? 「それは、違うんだ。理由が」 「黙れよ。見苦しいよ、高松。そうやって、言い訳するつもりか?」 「話を聞いてくれよ、正志!」 「怒るなよ。人間ってのはな、本当のこと言われたら怒るそうだ。あのな、お前がいくら弁明したって、被害者がそう言 うんだから事実なんだろ。現に、杉本も都築も素手で俺達に襲い掛かってきたし、それに武器もデイパックも全てお前 らに奪われたと言っている」 「そんな……嘘だ、全部、嘘だ」 信じられなかった。自分達が悪いくせに、それを他人のせいにした杉本が、そして、その話をまともに信じてしまっ た正志が。 別に、正志に非があるわけではない。だが根本的な原因の杉本は、ずっと前に既に死んでしまったし、責任は、追え ないのだ。 「そういうことだ。死んでくれ」 全身が震えていた。信じていたのに。なのに、正志には裏切られた。そして、殺されるのだ。あんなに勇ましいこと を言っておきながら、自分はこんなにも簡単に殺されてしまうのだ。 逃げろ。本能がそう叫んでいたが、肉体が既に動かなかった。 「嘘だ……」 足を引き摺っている正志の後ろには、吉村美香の姿が見えた。彼女も前に会った時とは違う、冷めた眼をしてい た。みんな、みんな変わってしまったのだ。 バン、と勢いよく玄関の扉が開いた。 振り返ろうと思っても、体がもう動かなかった。視線だけを、扉の方に向ける。そこにいた女子生徒が、勢いよく飛び 出してきた。そして、自分の前を通り過ぎると、一気に正志達のいる方角に武骨な『それ』を向けて。 パァン! ブローニング・ハイパワーから吐き出された鉛の弾が、吉村美香の体に命中したように、見えた。 【残り6人】 「栗田……!」 唐突に玄関から飛び出してきて、正志達に発砲した人物―― 栗田真帆(女子二番)は、すぐさま昭平の隠れてい る塀の脇に身を潜めた。 「栗田、お前……」 「やっぱり、思ったとおりだったね」 それは、いつもとは違う栗田だった。昭平が知らない、栗田だった。ちょっとくだらない話をしては、付き合っていたと の噂がある中野智樹(男子六番)と一緒にくすくすと笑っていた栗田。出発前に、若本千夏(女子八番)が殺されたと きに、一番初めに悲鳴をあげて、稲葉に殺されそうになるまでずっと叫んでいた栗田。傷ついた自分を、一生懸命手 当てしてくれた栗田。そんな栗田真帆という人間像が、全て音を立てて崩れてしまいそうなほどに、彼女は真剣な目 つきをしていた。 「おい、そこにいるのは誰だ? 出てこい!」 正志が、狂ったように喚いていた。 「わざわざ姿を現すまでもないさ。私だよ、栗田だよ」 「栗田……テメェ! よくも吉村を殺したな!」 その言葉に、衝撃を受けた。 死んだ……? 吉村が、たった一発の銃弾で、死んだ? 「あら、死んだの?」 「お前の撃った弾が当たったんだよ、吉村の頭にな」 頭部被弾、というものだろう。あんな出掛けに撃った弾が、なんと運が悪いのだろうか、吉村に命中してしまったと いうのか。 唖然として、ふと玄関の方を見ると、そこには前田も祐介も立っていた。二人とも、言葉が出ないようで、立ち尽くして いる。 昭平は、よろよろと立ち上がって、二人の元へと歩いた。 「前田……なんで栗田が、お前の銃を……」 そう尋ねると、前田は昭平の方をきっと睨み、言った。 「高松君のせいだよ。高松君が机の上に無造作にあたしの銃を置いたりするから、勝手に取られたんだ」 「そんな……」 俺のせいで、栗田に拳銃が渡った。そして栗田が拳銃を手に入れたせいで、吉村が死んだ。元凶は、俺か。 栗田が、前田の方を見ると、にやりと笑っていた。その眼は、杉本や先程の正志と、全く同じ構造をしていた。即 ち、やる気になっている証拠だ。 「返してよ、あたしの銃を。これは、あなたが持つ物じゃない」 前田が、塀の脇にいる栗田のほうへ近付いて行った。すると、栗田は銃口をすっと前田の腹部に向けた。必然的 に、前田が止まる。 「……何の真似よ?」 「私が、勝つの。貴方じゃ、あの男に勝てない」 「勝つ? 平山君はもう死ぬのよ、貴女のせいで。忘れたの、この連動制度のことを」 「知ってるわよ。だからね、それを利用して、私達が優勝するの」 「あたし達は? 貴女が殺すってわけ?」 前田が、歩を進め始めた。栗田の笑みが、限界まで釣り上がった。 「そういうことになるわね」 パァン! 直後、乾いた銃声が聴こえて、前田が前によろける体勢が昭平の目に入った。だが、昭平は知っている。前田が防 弾チョッキを着込んでいるという事実を。それを、祐介も栗田も知らない。 当然、前田はよろけただけで、死んではいなかった。 「え、何よ? 何で?」 流石に栗田は驚いている。一気に前田が、栗太の握っている銃を掴み取ろうとしていた。 「貴女の好きにはさせない!」 「や、やめて! 放して!」 女子二人が、一丁の銃を求めて取っ組み合いをしていた。それは、本当に喧嘩だった。前田が栗田の髪の毛を引 っ掴んだら、今度は栗田が前田の手の甲を引っかいて無理矢理引っ剥がす。栗田がなんとか銃を渡すまいと、必死 に手を上に掲げているが、身長が僅かに上回っている前田が、それをジャンプしてなんとか取ろうとしている。 何をしているんだ、あの二人は。 何で、こんなことになってしまったんだ。 「止めなきゃ……」 隣で共に立ち竦んでいた祐介が、そう呟いた。 「ああ……止めよう、二人を」 昭平も続けてそう呟く。お互いに目を合わせて、頷いた。今はこんな悠長なことなんかしてられないのだ。いつ、どち らが死んでもおかしくない状況なのだから。 そう思って、駆け出し始めようとした時だった。 ピ……、ピ……。 「え?」 聞き覚えのある、電子音。それが、微かに聞こえていた。 それは即ち、死の宣告。首輪爆発一分前の、合図。 「……誰なんだよ?」 そう昭平が呟いた瞬間だった。前田が、その電子音のせいで一瞬油断し、その僅かな間に、栗田が銃口を前田の 頭部へ捻じ曲げた。 そして。 「さいなら!」 パァン! 「前田ぁ!」 本当に、それは一瞬だった。本当に、それは呆気なかった。 前田は自分で握っていた銃を、栗田によって無理矢理ぶっ放されたのだ。そして、その暴発ともいえる発射先には、 前田の頭部があった。 前田が、昭平達の方へ吹っ飛んできた。空中の軌道上に、紅く、そして白い粘性のそれを振り撒きながら、地面に強 く叩きつけられた。一回だけ大きくバウンドして、そしてそのまま地面に仰向けに突っ伏していた。その小柄な体は、 もう、動かない。紅色の血溜まりが、じわりじわりと前田を染めていく。 「前……田……?」 それは、本当に呆気なかった。 動かない自分のペアの先に、栗田真帆が笑みを浮かべて立っていた。その手に、ブローニング・ハイパワーを持っ て。 運命共同体のペアの死体を前に、昭平は呆然と立ち尽くしていた。 女子五番 前田 綾香 七番 吉村 美香 死亡 【残り4人】 ピ……、ピ……。 自らの首元から、電子音が鳴り始めるのを確認して、正志は舌打ちをした。それは即ち、タイムリミットまでもう、後 一分しかないという合図。死の、宣告だ。 栗田真帆(女子二番)が突然出てきて銃を発砲した。吐き出された弾は、運の悪いことに見事にペアの吉村美香 (女子七番)の頭を捕らえてしまった。地面に倒れこむ吉村。広がる血溜まり。もう、生きている筈なんかなかった。ペ アである彼女は、いとも簡単に、このゲームから、そして人生から退場してしまったのだ。 畜生、みんな、みんな簡単に消えていってしまっている。ただ、少し騒いだだけで稲葉に撃ち殺された若本千夏(女 子八番)。そして、連動性というくだらないルールの為に首輪が爆発して死んでしまった、最高の悪友、町田宏(男子 八番)。そして、その二人を殺した担任の稲葉も、放送によると既に死亡しているらしい。中学校を出発してすぐの校 庭に転がっていた小島奈美(女子三番)と近藤悠一(男子三番)。さらに、自分達を襲ってきた都築優子(女子四 番)。そして、同じく吉村が撃ち殺した杉本高志(男子四番)。突然手榴弾を投げて、自分達を殺そうとした、そして伊 藤早紀(女子一番)と浅野雅晴(男子一番)を既に手にかけた矢島依子(女子六番)。 かつてのクラスメイト達は、簡単にこの世から消え去ってしまった。この、プログラムというクソゲームのせいで。 あってはならないこと。本来ならば、こんなことは絶対にしてはならない事の筈なのに。何故、こんなにも簡単に、人 の命は消えていってしまうのか。駄目だ……駄目なんだ、こんなことじゃ。こんなゲームを考える政府も政府だが、そ れに便乗して殺しあう生徒も生徒だ。だから、だから自分達はやる気になっている人物を殺すことを決意した。全員を 抹殺するまで、自分達は死ぬわけにはいかない。襲い掛かってきた者に対して、躊躇なんかしてはいけない。 自分達が知っている中で、生き残りでやる気になっているのは高松昭平(男子五番)と前田綾香(女子五番)だけ だ。その二人さえ殺してしまえば、残るのはおとなしい栗田真帆と大原祐介(男子二番)だけなんだ。だから、と安心 していたのに。 栗田真帆は、このゲームに乗っていた。 そして、共に殺戮をしていた吉村が、殺された。 もう、やるのは自分しかいないんだ。 ピ、ピ、ピ、ピ。 吉村が撃ち殺されたとき、標的は高松ではなく栗田に変更した。高松と栗田が口論している間に、ぐるりと周囲を 一周して、逆サイドから奇襲をかける、そういう作戦だった。もっとも、舗装された道路はD=4、C=5共に既に禁止 エリアになっていたので、家の塀沿いにエリアを越えないように注意しなければならなかったが。 だが、右足の怪我は走るのに支障を与えた。悪路というよりも、もともと道ではない場所を走るのは、矢島依子によっ てもたらされた傷は邪魔だった。結果、一分ほどで逆サイドに行く予定が、倍の時間かかってしまったのだが。 そして、この警告音だ。突然鳴り始めたそれは、まさしく自分の計画をいとも簡単に破壊した。この音のせいで、自分 が何処にいるのか丸分かりじゃないか、畜生。 その時だ。先程も一発銃声がしていて、栗田が暴走を始めたものだと思っていたが、再び銃声が一発響き渡ったの だ。これは、かえって好都合だった。栗田は、今は別の相手と戦っている。となると、きっと隙が何処かしらにある筈 だ。 チャンスだ。 コルト・ガバメントをしっかりと構えて、正志はそっと近寄った。まだ、警告音の間隔はそこまで早まっていない。三〇 秒の間に、片をつけてやる。 プロック塀の影から正志は飛び出した。警告音に感付いていたのか、すぐそこに栗田真帆はいた。なんとも無防備な 恰好だ。 ズダァン! 出様に撃った弾は、栗田のすぐ横の塀のコンクリートを跳ね飛ばしただけで、当たらなかった。だがもう一度、諦め ずに撃った。時間が、ないのだ。 ズダァン! 一発目の銃声で完全にこちらの位置がばれたのか、栗田は塀のそばに立っている電柱に隠れようとしていた。だ が、一瞬だけこちらの方が早かった。二発目の銃弾は栗田の左肩を捕らえ、一気に栗田に衝撃を与えた。地面に転 げる栗田を見て、正志は勝ったと思った。 ピピピピピピ。 さらに首輪の電子音の間隔が狭まった。何かが、正志を急かさせた。急げ、急がないと、爆発するぞ。 ―― ほら、早くやりなさい、早く! ふと、母の声が甦った。 ヒステリックに喚き散らしている母。少しでも勉強しろ、他の生徒に勝つんだと、毎日のようにがなりたてていた母。勉 強しないと、自分は殴られた。他の生徒と一緒にバカになるぞ。あんたは頭が良いんだから勉強して、いい高校に行 きなさい。 うるさい、黙れ! なんで俺がそんなに勉強しなきゃならないんだ! 俺はあんたの操り人形じゃない、人間なんだ! あんたにいちいちそんなことを言われる、ましてや強制される筋合 いなんて、ないんだよ! 父は、頼りなかった。会社でも上司の顔色を窺う毎日。そんな情けない父にしたくなかったのだろう、少しでも良い 高校、良い大学に行き、立派な人間になってほしかったのだろう。 だけど。立派な人間ってなんなんだよ? 大人のミニチュアになってちゃかちゃか勉強して、遊びもしないで毎日勉強 して、友達なんか一人もいないのに立派な人間って言えるのか? 反抗期を迎えた辺りから、正志のそういった心情はますますエスカレートしていった。そして、遂に、その日はやって きた。 夏休み、親を殴った。 気が付いたら、殴っていた。とりかえしがつかなくなっていた。その当時、自分はかなりイライラしていたのだ。学校に 行っても、三年の自分達は邪魔者扱いされ、家にいたら勉強勉強と言われ、何もかもが嫌になって、気が付いたら親 に暴力を振るっていた。 いつも穏和だった父に、出て行けといわれた。ショックだった。 財布も持たずに、正志は家を飛び出した。 そんな時だ。とぼとぼと商店街を歩いていた時に、町田に呼び止められた。何をしているんだ、お前らしくない、とあ まり話したこともないのに、何故か向こうは熱心に聞いてきた。 正志が事情を説明すると、町田は笑ってこう言った。 俺と一緒だな、と。 町田の家庭は崩壊していた。父と母が離別し、町田は母方に引き取られた。母は女手一つで町田を育てるため に、毎晩毎晩水商売をして稼いでいた。だから町田はほとんど母とは話す機会がなかったし、もとより自分をどちらも 引取りを拒否した親は好きではなかった。 その時から正志は町田と行動を共にした。髪を茶色く染め上げて、まさに不良と同じ行為をした。ゲームセンターに行 き、かつあげを繰り返した。町田から喧嘩の仕方も習った。そして、家に帰っても、一言も喋ることはなかった。 こんな子に育てたつもりなんかなかったのに。 母はそう言った。だが、正志はそんな母をにらみ返すだけだった。全く可笑しい。あんたのせいで、俺はこうなったんじ ゃないか。誰のせいでもない、あんたのせいなんだ。 もう俺は大人は信じない。教師も、親も、誰も信じない。友達だけしか、信じない。 勉強は捨てた。だから高校にも受からなかった。もともと行く気などなかったのだから、別によかったのだが、やはり 少しはこたえた。 自動車の整備士になる。もう、就職は決まっていた。隣の県の町工場で、住み込みで雇ってくれる場所があった。こ れで、やっと親から解放される、そう思って、喜んだ先のプログラムだ。 町田は信じられない行動をしたから殺すつもりで阻止した。 矢島だって、殺して反省なんかしなかったから吉村に殺させた。 杉本も、都築も、みんな自業自得なんだ。 そして、栗田。 今、俺はお前を裁く。 地面を蹴って、正志は跳んだ。右足がかなり痛かったが、そんな甘ったれたことなんか言ってられない。一気に倒 れている栗田のもとへ近寄り、銃を構えた。 「…………っ」 パァン! 次の瞬間、正志の右手に鋭い衝撃が来た。その時、微かに、倒れている栗田の顔に、苦痛の色と共に笑みが浮か んでいたと、感じた。 やられた。栗田は怪我をして、動けないものだと思っていた。だがそれは演技だったのだ。自分を誘い込むための、 演技だったのだ。充分近付いたところで撃つ。なんで、こんな簡単な手に引っ掛かってしまったのか。 激しい右手の痛み。握っていたコルト・ガバメントがコンクリートの床を転がり、カラカラと音を立てて、やがて止まっ た。もう、とても手を伸ばして拾えるような場所にはなかった。 ああ、わかった。全てはこの首輪のせいだ。この首輪の電子音が、俺を急がせたんだ。俺を、焦らせたんだ。 ピ――― 。 電子音が、鳴り響いていた。 その音が、町田を突き飛ばした時の自分を思い出させた。 あの時はまだ、俺の心は正義で満ちていたんだ。まさか都築がやる気になるなんて考えていなかったから、町田 から彼女を守ってしまったんだ。でも、俺、間違って、ないよな? ―― あの時ならな。 目を見開いた。町田の声が、頭の中で聴こえた。 そして、わかった。わかったから、笑みがこぼれてきた。 パァン! 正志の首輪は爆発することなく、その役目を終えた。栗田真帆の放った銃弾が頭に命中し、強制的に彼の思考能 力をもぎ取ったからだった。そして、首輪は本部に、平山正志が死亡したと発信したのだった。 わかったよ、町田。俺は、ただ死にたくなかっただけなんだ。 だから生きようとして、その理由を作って殺しまわっていたんだな。 ホント、恥ずかしいや。 俺、すごいバカじゃん……。 男子七番 平山 正志 死亡 【残り3人】 戻る / 目次 / 進む |