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 雪はとっくに止んだ。それでも今は、まだ曇天のままだ。
 時刻は午前七時過ぎ、ようやく二つ目の禁止エリアとして、A=3が指定された。

 あの逃走劇から、既に一時間以上が経過している。あたしが今いるのは、あの転校生の襲撃を受けた場所から、さ
ほど離れていない場所にあるバス停の中だ。雨よけとして、木組みの簡素な屋根が在るその場所は、最早来る事の
ないバスを淡々と待ち続けるかのように、ひっそりと佇んでいた。
あたしはそっと、辺りの様子を伺った。目を閉じて、耳を澄ます。さぁ、と吹きぬける風は、あたしの心の中までをも凍
てつかせる。なにもかもが、冷たく、そして寒かった。

「ナオ……」

辺りには、人の気配は全く感じられなかった。だけどそれでも、安心は出来ない。なんてったって、この会場にはあの
殺人鬼転校生がうろついているのだ。あの、容赦のない一連の動き。あれはどうみても素人ではない。恐らく、既に
今までにも何人も殺してきたことがあるのではないかと錯覚してしまうほどの手馴れた動作だった。あんなのがいる
のだ。あの転校生なら、恐らく気配を消し去ることなんて簡単にやってのけてしまうに違いない。そうに決まっている。
あたしは、どうやって勝てばいいんだ。あんなの、絶対に勝てない。あたしに今残されているのは、庄司早苗(女子五
番)のものだったグロッグ33、それも弾が一発も入っていない、ただのモデルガンと同じようなものだ。いったいこん
な武器で、どうやって戦えというのか。
これから、どうすればいいのか。生きたいと切に願うのなら、あたしは優勝を目指して突き進まなくてはならないの
だ。だけど、そのためにはいつか、必ずあの転校生と対峙することになってしまう。
今のままだと負ける。なら、強力な武器を手に入れればいいのだ。それだけではない。強力な、力となってくれる仲
間を作らなくてはならないのだ。そう、仲間。一緒にあの転校生を殺そうとしてくれるであろう、あの仲間だ。
しかし、あたしに仲間なんているのだろうか。同じテニス部員だった庄司早苗は、狂っていたからあたしが殺した。同
じように親友である霜月直子(女子四番)でさえも、あたしは見捨ててしまったのだ。

 直子は、死んでしまったのだろうか。

当たり前だ。死んだに決まっているじゃないか。あの状況、あの転校生が直子を殺さない理由が見当たらない。あの
転校生だって、わざわざ参加した理由こそ知らないものの、あの様子だと自殺願望を持ち合わせているようには見え
ない。絶対に、優勝を狙っている筈なのだ。
だけど、もしかしたら。可能性は、ないとは言えないじゃないか。もしかしたら、まだ生きているかもしれない。それは
もう、瀕死の状態かもしれないけれど、生きているのだとしたら、まだ望みはあるじゃないか。
だけど……あたしは直子を見捨てたのだ。自分ひとりだけが助かる為に、直子を置き去りにしたではないか。そし
て、あんなにも直子は悲しそうな眼をして、最期は怒り狂って、あたしに対して罵声を浴びせ続けていたではないか。
あたしは最低な親友だ。いや、最早親友とも呼べない存在なのだ。
あたしは親友を見捨てた。そんなの、はじめから親友なんていう関係じゃない。あたしは、最低なんだ。

 謝らなければ。
 あたしは直子に、謝らなければならない。

「ナオ……!」

あたしは、そっと立ち上がる。ふらふらとした足取りだったけれど。水も取らず、食料も食べずに体力は限界をとうに超
していたけれど、あたしは歩き始めた。元来た、道を。
たとえそこに待ち構えている現実が最低の結果であったとしても、あたしは直子に謝らなければならないのだ。それ
が、あたしがあの時まで直子の親友だった証。直子の、生きた証なのだから。

 辺りは、不自然なほどに静かだった。あたしは、本当についていたのかもしれない。あの後、転校生がそのままこ
の付近で戻って来るあたしを待ち構えていたのであれば、とっくにあたしもこの世から消えていたのかもしれなかった
のだけれど、どうやらそういうことはないらしい。
図書館裏の雑木林。林道、とでも言った方がいいのだろう。その一本道、あたし達が逃げ続けたあの林。そこにも人
の気配は全く感じなかった。恐らく、ここいらで何度も銃声があったからなのだろう、下手なことには関わらない方が
良いという、気の利いた秀才が沢山いた、それだけのことだ。そう、例えばあの成海佑也(男子九番)とかだ。そうい
えば、彼はかなり後のほうに出発した筈だ。あの秀才君は、今どこで、何をしているのだろうか。彼は基本的にはあ
の不良コンビ以外とは満遍なく親しくしていたのだから、もしかしたら何人かの仲間と共にどこかにいるのかもしれな
い。そこなら、あたしも受け入れてもらえるかもしれない。そこには、強力な武器もあるかもしれない。

 ……それを利用しない手は、ない。

その他に、まだ生き残っている中であたしを信頼してくれそうな人物。中峰美加(女子九番)はどうだろうか。彼女は
木下栄一郎(男子三番)と共に学級委員を務めていて、同様に成海と同じくらい親しくしていたクラスメイトだ。だけ
ど、彼女はバスケ部だ。あの菅井高志(男子七番)城間亜紀(女子六番)との合流を望んでいるに違いない。そし
て、あの二人はあたしを信頼していない。
……無理だ。あたしを信頼してくれそうな善人は、成海くらいしか残っていないじゃないか。その他は、全員あたしが
殺してしまったのだ。なんてことなんだ。
あたしは、どうしようもない現実を突きつけられて、呆然とした。
だけど、所詮これはあたしの中の妄想に他ならない。真実は、全く違うのかもしれない。その僅かな希望にかけなけ
ればならないのだ。そして、もしもそれにさえ裏切られたのなら。あたしは、全力でそれに対してぶつかっていく。全力
で、優勝をもぎ取ってやるまでだ。

 そして、歩いているうちに、見慣れた林道に出た。
そこは、かつてあたし達が共に逃げた場所。直子が、転校生に撃たれた場所。そしてあたしが……親友を、見捨てた
場所。全ての仲間を、失った場所。
そこに横たわっているのは、見間違える筈がない、見慣れた顔だった。

「…………」

その顔は、苦渋に満ちていた。何かから必死に逃げようとしていたのか、右手が大きく前に突き出されたままになっ
ていた。それともそれは、逃げ延びたあたしを、それでも必死に掴もうとする彼女の執念だったのか。
背中から、一発。それは確実に心臓を撃ち抜いたのだろう。精確な射撃。それは恐らく、身動きの取れなかった彼女
を、転校生が背後から忍び寄って、一発で、確実に仕留めた、それだけのことだ。
本当に冷徹で、容赦がない転校生だ。これで、あいつが殺したのは二人目。或いは、それ以上なのか。あれ以来銃
声は聴いていない。少なくともあの転校生は銃は使っていないというだけだ。
その哀れな犠牲者となってしまったのは、目の前で殺された進藤絵里子(女子八番)と、そして目の前に横たわる彼
女、直子。そして、恐らくまだ、他にも犠牲者は沢山出来てしまうのだろう。絵里子にしろ直子にしろ、ただ記録の上
で、転校生によって殺害された、それだけで済まされてしまうのだ。

 そんなことって。

あたしだけじゃない。ここにいるクラスメイトは、全員どんな形にせよ積み重ねてきた十五年間というものがあるはずな
のだ。それを、次々とプログラムで失っていってしまう。やがてはあたしもその仲間に加わってしまうのだろう。それだ
けは避けたかった。だけど、決して覆ることはない現実。あたしがたとえどんなに抵抗したところで、結果はもう眼に
見えているのだ。
あたしも、きっとクラスメイトの誰かに殺される。そしてただ、報告書に『死亡』と書かれて終わるだけだ。あたしがテニ
ス部として積み上げてきたものも、懸命に麻薬常用者に対して粛清しようとしたことも、そして親友を裏切ったという事
実まで、たった二文字……『死亡』という二文字で片付けられてしまうのだ。

 ……あたしは、顔を上げた。
冗談じゃない。あたしはこんなところで終わっていいはずがないんだ。あたしは決めたじゃないか。どんなことをしてで
も、生き残ると。だから親友を見捨てた。だからクラスメイトを殺した。だから……これからも。
既に決めたこと。今更くよくよ言ったってどうにもなるものじゃない。事実は覆らない。大事なのは、いかにしてこれか
らを生き延びるか。いや、優勝するかなんだ。
もう、構わない。あたしは全力で走りきってみせる。このデスゲームという舞台を、立派に演じきってみせる。それが
達成されたとき、きっと全てが輝いて見えるのだろう。その時までは、あたしは。

 もう、誰も仲間はいない。 躊躇させられる存在は、ここにはない。
 あたしは行かなければならないのだ。涙なんか、無駄にここで流すべきではないのだ。

 使い物にならないグロッグ33をスカートに差し込むと、あたしは再び歩きはじめた。
 決して出口の見つかることのない、迷宮の中へと。


  女子四番  霜月 直子  死亡



 【残り13人】





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