午前十時。エリアE=3、山中。 太陽はすっかり昇っていたものの、鬱蒼と茂った木々が、陽の光をことごとく遮っていた。 「……しっかし、随分と変な所に来たもんだな」 背後から、亮太が僕にそう問いかける。すぐ後ろにいる美加は、まだまだ軽い足取りでひょいひょいと歩いていた。 亮太もスタミナは抜群に持ち合わせているので言わずもがな。その点、体力の乏しい僕はすっかり疲労困憊だ。 「ねぇ、ユーヤ。疲れないの? 大丈夫?」 「……あ、いや。うん、大丈夫。まだまだ……平気、なはず」 実際、もう足がガクガクで動けない、といった重度のレベルには達していない。だけれども、このまま移動を続けれて いたら、いざというときになにも出来なくなってしまう可能性はあった。 「あー……いや、もういいだろ、少し休むぞ。佑也は少し休んだ方がいい」 「いや、別にそんな……申し訳ないよ」 「いーんだよ。山奥の小屋ならゆっくり休めるかと思ったけれど、なにもそこまで休憩なしで行こうっていう話なわけで もないし」 「そうかぁ……それなら、少しくらいなら大丈夫だよね。休もうか」 今、僕達はエリアでいうとF=3に存在する(地図にはそう描かれていた)山小屋へと向かっていた。特にこれといっ た理由もないが、柏木杏奈を殺害した場所から少しでも遠くに離れた方が良いという考えから、南に向かっていた僕 達の目的地を山小屋に指定したのだ。 実際、その目的地である山小屋はもう直線距離でそう遠くはない場所にまで来ていたのだが、まぁその直前で休憩 を挟んだって問題はないだろう。というより、たとえ小屋の中といえども、安全な場所などこの会場内には存在しなか ったのだが。 亮太がその巨体を座らせると、隣に美加がゆっくりと座った。デイパックを地面に音を立てないように慎重に降ろすと、 これまたゆっくりとジッパーを開けて、中のペットボトルを取り出した。 「あー、喉渇いたー……」 「そりゃこの一時間歩きっぱなしだったからね」 僕も地面に腰を落とすと、ペットボトルを取り出してそっとキャップを開ける。少しだけ水を口に含んで、ゆっくりと喉を 潤していく。それはとてもぬるかったけれど、格別なうまさを持っていた。 「くぅー、生き返るなぁ」 亮太が両目を力いっぱい閉じて、唸っている。 こういった情景を見ていると、なんだか本当にハイキングにでも来ているような錯覚に捉われてしまう。 「なんかさ、こうしてると。まるでプログラムだって実感わかないよね」 「あぁ、そうだな。別にこうしている分には、俺たちは普段どおりって気がするな。だろ、佑也?」 「え?」 美加も亮太も、同じことを考えていたようだ。いつも一緒に行動していただけあって、すっかり意思疎通はできあがっ ているらしい。だけど、僕は素直には喜べなかった。そう……それはつまり。二人とも、他者を殺すということになんの 戸惑いも感じていないということだ。 これはいったい何を指し示すのだろう。今の美加も亮太も、普段の生活の時と全く変わっていないのだとしたら、それ はとんでもないことになってしまう。普段の生活でも殺人の禁忌がないのだとしたら、それはとても恐ろしいことだ。逆 に二人がプログラムに巻き込まれて初めて殺人に対する躊躇がなくなったのだとしたら、それは既に二人とも“普段” ではなくなっているのだ。 当たり前だった、普段の生活。それはどちらに転んでも、待つのは破綻。既に、全ては狂い始めていたのだ。少なくと も、プログラムが始まった、その瞬間には。 そして、僕自身も。既にクラスメイトを一人この手で殺してしまった。そして、これだけ自責の念にやられているのだ。 二人とも、殺人を犯せば、きっと僕と同じような気持ちになってくれるはずだ。あれだけ戸惑いがないと言っていても、 実際に人を殺せば、それはただの口先だけだったのだと理解してくれる筈だ。 仮に……もしも、もしもだ。人を殺しておいて、何の感情も抱かなかったのだとしたら。 既にそいつは、人間なんかじゃない。 殺した人間には家族がいるだろう。そして、家族以上のものが涙を流すだろう。それらは全て、殺害した自身に重く圧 し掛かってくるのだ。 僕は、多分死ぬ。このプログラム中に、絶対に死んでしまうだろう。僕が殺したクラスメイトの家族は、誰に怒りをぶつ けようとするだろうか。そんなのは決まっている。その人物とは―― 。 「おーい、佑也。生きてるかー?」 「……え? あ、あぁ。うん、平気だよ」 「なんだかさっきから顔色悪いよ。腹冷えでもした?」 「いや、大丈夫だって。心配しないでいいから」 いけない。どうやらまた僕はぼーっとしていたらしい。もうそんなことで悩むのはやめる。そう決意した筈だ。僕は最期 まで僕でいると。そして、僕が望むそれ、即ち美加と亮太にも、ありのままでいてほしいという願い。 二人には、殺人をやらせるわけにはいかない。その瞬間、二人を支えている最後の歯止めが折れてしまうだろう。そ して、その後に待ち構えているのは、絶望と死だけなのだ。 僕は二人を守らなきゃならないんだ。誰も殺すことがないように、見張らなきゃならないんだ。これ以上、目の前で人 が殺されるのを見たくはないんだ。 山奥にも、うっすらと雪は積もっていた。今休んでいる場所は丁度大木の真下にあたるので、雪は幸いなかったけ れど、少し辺りを見渡せば簡単に白いそれは見つけられた。 鼻息も白い。どうやら、外気は相当に寒いらしい。ふと美加を見ると、両足を震えさせていたのが確認できた。これは 早いうちに、少しでも冷気から逃れられる山小屋へと向かった方がいいかもしれない。 「あのさ」 そう思って、話しかけた瞬間だった。 パァン! 「…………!」 かなり近くで、その銃声は鳴り響いた。そう、それこそまさに、僕たちが狙われているんじゃないかと錯覚するほど に。幸いにして、それはないみたいだったけれど。 「……山小屋の方からだ」 パァン、パァン! パァンッ! 連続して鳴り響く銃声。それは、どこかで聞いたことのあるような気のする、銃声だった。 亮太がグロッグ33を両手に構えて、立ち上がった。 「亮太君……?」 「見てくる。俺たちにとっても敵になりそうだったら……消してくる」 消す。 この状況で消すが何を意味するのかは言うまでもないだろう。僕は、背筋が凍りついた。 「僕も、行くよ。まずは、状況把握が最優先だ」 だから、それを阻止する為に。僕はステアーTMPと共に立ち上がった。もし最悪の事態が起こりそうになった場合 は、僕が阻止しなくてはならない。僕が、なんとかしなければならないのだ。 「あたしは……」 「美加はそこで待機だ。俺達が戻って来るまでに荷物をまとめておいてくれ。そして……もしも戻って来る気配がなか ったら、そうだな。とりあえず一人で会場の右隅にでも避難しておいてくれ」 「右端……て南東? えーと……あぁ、G=7ね」 「頼んだな。絶対にそんなことないようにするからよ」 「はーい、いってらっしゃーい」 亮太は、もしもの場合を想定して、美加にだけは逃げるように言った。なかなか賢明な判断じゃないか。僕も同じこと を言おうとしていたんだけれど、どうも先を越されてしまったらしい。 「よっしゃ、いくか佑也」 銃声は、二種類あった。それは即ち、銃撃戦だ。銃を持つもの同士が山小屋で遭遇した。そんなところだろう。もう 僕は惨劇の舞台はまさに目的地に指定していた山小屋に他ならないと断言していた。もしも屋外で銃が発射されて いたのなら、もっと周囲に拡散されている筈だ。それが、微妙にくもぐった音声となっているのは、即ちそれが屋内で 発射されたものであるということに他ならない。そして、この近辺で屋内候補といえば、あの山小屋しかないのだ。 「……そうか、やっぱりあそこなのか」 亮太は、山小屋から少しはなれたところに立っている木々の間からじっと様子を伺っていた。僕も、誰かが出てくるの ではないかと思いながら、じっと木陰から入口を見守る。そして。 「お、誰か出てきた。えーと……ありゃ? あいつ誰だ?」 扉が開いた。そこから出てきたのは、見慣れない生徒……転校生だった。 転校生は辺りをゆっくりと伺うと、一目散に駆け抜けていった。僕たちがいる方向とは逆の方向だ。少しだけ傾斜地に なっていて、小高い丘になっている方面へと、転校生は駆けて行った。 「えーと……あんな奴うちのクラスにはいなかったよな」 「多分転校生だよ。ほら、栄一郎の父親に紹介されていたでしょ」 「そういやそんな奴いたっけな。あいつかな、銃をぶっ放したのは」 「恐らくそうだね。とりあえず、あの小屋には誰かいたのかもしれない。中を見に行こう」 「お、おう。わかった」 既に頭の中に最悪のシナリオは出来ていた。あの『要注意人物』と木下栄之助が紹介したあの転校生が、クラスメイ トの誰かと戦闘になった。そして、その戦闘が終わり、とりあえずあの場から逃げた。そう考えるのが妥当だろう。 そう、戦闘が終わった。つまりそれは、既にあの中には誰かの。 一気に斜面を駆け上がる。そこに待ち構えていたのは、そんなに大きくはなさそうな山小屋だった。本当に一人部屋 のような感じで、別荘とは程遠い建物だった。ドアノブを廻すと、鍵はかかっておらず、簡単に開いた。 「……お邪魔しまーす」 開けた瞬間に漂ってきたのは、血臭だった。 「こいつは……ひでぇな……」 さしもの亮太も、この光景には圧巻されたのだろう。それもそうだ。目の前の木目の床に転がっているのは、小柄な 女子である工藤聡美(女子三番)だ。胸部が真っ赤に染まっていて、心臓を撃ち抜かれての即死だと判断する。そし て……向かい側の壁にもたれかかるようにして死んでいた男子。顔の右半分を吹き飛ばされたそれは見るに耐えら れるものではなく、辛うじて鼻に引っ掛かっている眼鏡が、悲しげに光を反射していた。それは、出発前にプログラム を認めないと断言した、あの榎本達也(男子一番)の死体だった。 「うん、こいつは……酷い」 誰かが目の前で殺されるのはもう嫌なんだ。 僕の願いは。こうもあっさりと……打ち砕かれてしまった。 そう。これこそが、プログラムという名の現実。 決して逃れることの出来ない、死。 男子一番 榎本 達也 女子三番 工藤 聡美 死亡 【残り10人】
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