転校生。こいつは俺が越えるべき、最後の壁。 こいつの名前は、いったいなんだったっけか……、たいした情報でもないと思っていた。だから思い出せない。 「タカ……なんとか。うん、確かタカミだったかな、お前」 俺がうろ覚えながらそいつの名前を口に出してみる。瞬間、転校生の目元が見開いた。 まじまじと転校生を眺めてみる。背丈は俺より少し高い程度、ボサボサの髪。着ている服は転校生と銘打っているだ けあって、俺たちの着ている制服と同じものだが、卸立てように光沢を放っていた。尤も、だからこそ激しい動きに耐 えられなくて、汚れが非常に目立っていたのだろうが。 「下は……アキヒロ、いや……ヒロアキ、どっちだったかな……。タカミ……アキヒロ、違うな。タカミ、ヒロアキ……う ん、たしかそうだ。タカミヒロアキ、それがお前の名前だったっけな」 「……お前も、俺の名前を知っているのか?」 驚いたような顔をして、転校生はそう呟いた。いや、小さな声ながら、それは俺に対しての問だったのだろう。俺はよ っこらせ、と。悠々と立ち上がりながら、言った。 「あーいや、木下の父さん……うちらの教官だな。あの人の自己紹介に時、俺ちょっと考え事してたから、うろ覚えな んだ。……確かそれで、あってるよな?」 そう言いながら、俺はふと、こいつの声を初めて聴いたような気がした。自己紹介の時もあいつは何も喋らなかった し、菅井と一緒にいて襲われたその時も、特に会話は交えなかったと思う。 その転校生は、俺の眼をじっと見据えながら、なにかを覗き込むかのように考えていた。おいおい、お前……まさか 自分の名前もわからないのか? それとも答えようがない? そんなバカな。 ふと、脳裏を過ぎる『偽名』の二文字。 どうして突然そんな言葉が浮かんだのかはわからない。だが、充分に考えられるじゃないか。こいつがわざわざプロ グラムに参加してきた理由、それはわからないけれど、考え方によっては。 「……答えられない、か」 「名前なんて、どうでもいいだろう。俺は俺だ、お前には関係ない」 ぶっきらぼうに転校生は、そう言い切った。 名前なんて、どうでもいい。その言葉は、不思議な感覚だった。 そういえば、河原雄輝の家に遊びに行ったとき、あいつの家の庭には犬小屋があった。なんて名前なんだ、と聞い てみると、雄輝は言った。 「一応、クロって名前をつけているんだけどね。あいつは自分が呼ばれているってわかったら、どんな風に呼んでも反 応するんだ。変わってるでしょ」 「どれどれ……タロー」 ワン! と一吠え。どうやらあながち嘘でもないようだ。俺は、この犬が果たして本当に自分の名前をわかっているの かどうかを疑問に思ったが、雄輝の手前、そんなことは聞けなかった。 「偽名……か。なんかお前も色々あんだな。……そうだ、お前は俺の名前、知ってんのか?」 「知らない」 即答だった。そりゃあそうだ。転校生が一日や二日で生徒の顔と名前を覚えられる筈がない。俺でさえ、こいつ一人 の名前もろくに覚えられなかったのだから。 名前、それは単なる言葉の羅列。人を区別して判断する為の、材料。 「俺の名前は村田修平。特に珍しくもない、つまらない名前だ」 「……そうか、覚えておこう」 「お前は、この村田修平をこのプログラム中に一度、襲撃した。覚えているか?」 「あぁ、もちろん」 本当に、こいつには名前はいらないのかもしれない。ただ、目の前にいる殺すべき相手を、顔で区分して殺している だけだ。それは、人殺しではなく、ただの処理。人情の欠片も、こいつからは感じられない。 しかしその一方で、この殺人兵器に助けられたのも事実だ。こいつの襲撃がなければ、俺は今頃菅井に撃ち殺され ていただろうし、菅井や萩野、中峰の仮面を剥ぐこともなかったろう。その点では、こいつには感謝しなければならな い。今を生きられるのはまぎれもなくこいつのお陰なのだから。 だからこそ、俺は生き延びなくてはならないのだ。 だからこそ、俺はやる気になったのだから。 「……俺は、生きなければならないんだ」 転校生に、俺は言った。同時に、マシンガンを横に投げ捨てた。 こいつにはもう頼らない。慌てて佐野を追いかけてしまって、中峰のデイパックから予備の弾を取ることをすっかり喪 失していたから。佐野に対して撃った弾も、相当量あるはずだ。もしかしたら既に弾切れの可能性も、ある。 だったら、俺にはもうこいつしか残されていない。出発地点から俺の相棒だった、ソーコム・ピストルしか。 「奇遇だな。実は俺も、生きなければならないんだ」 転校生が、笑みを見せた。だがそれは、かつての萩野のような、どす黒い笑みではない。 俺も、笑った。そしてそれも、佐野を追いかけた時の俺みたいな、どす黒い笑みではない。 互いに、使命は同じ……か。 「特別だ。さっきの質問に、答えてやろう」 「……あぁ?」 「俺の名前は、高見広秋。お前は、間違ってはいなかったよ」 刹那。高見広秋は、その右手に構えた銃口を、僅かにずらした。 瞬間。村田修平は、その右手に構えた銃の引き金を、絞った。 一発の銃声が辺りに轟く。 俺は、引き金を確かに絞った。だがそれは。虚しく……空を切っていた。 右肩に被弾し、そのショックで俺の相棒は、地面に落ちていた。 唖然とする。俺はこいつの命を狙った。だが、こいつは俺の銃を狙っていた。 俺はこいつを見つめる。こいつは、再度銃を放とうとしていた。その銃口の先には、俺の瞳があった。 ―― ふざけるな! 俺は、生きなければ……! 再度、銃声が辺りに轟く。 その弾は、俺の言語中枢を半ばから断ち切った。とにかく、強い衝撃としか、表現できなかった。 時刻、12月24日、午後6時42分。 男子十二番 村田 修平 死亡 【残り2人】
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