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 村田修平(男子十二番)の死亡を知らせる声が、本部内に響き渡る。
 これで、会場内に生き残っているのは二人。残り人数は、たったの二人だ。


  ―― 出来れば……村田君には生き残ってもらいたかったが。


 ふと、私はそんなことを思った。

「どうしたい、木下。そんな浮かない顔をして」

私の顔色の変化をいち早く悟ったのだろう、流石は長年付き合ってきただけのことはある。兵士として、そして人生と
しての先輩でもある的場将吉が、私に向かって話しかけてきた。その様子を見ながら、たった今号令をかけた豪徳正
は私の仕事である書類整理に手をかけていた。二人の年齢はそれぞれ六十二と五十八。私の年齢がまだ五十で
あるから、そう考えると私とて口はそうそう出すことは出来ない。
きっとこれも政府側が決めたことなのだろうと、私は思った。私がまだ新米だった頃、その研修をしてくれたのがこの
二人だった。今でこそ温和に見える彼らだが、その昔はこれでも鬼教官と呼ばれた身だ。私も、相当厳しくしつけられ
たのだが、今となってはそれでさえ懐かしく思える。あの指導がなければ、今の私もなかっただろう。

「……いえ、なんでもないです。的場さん」

その先輩が、今回のプログラムで突然私の補佐を務めることになったことを知ったとき、私の中ではなにかが起きて
いるのだと、すぐに異変を察知することが出来た。
これまで、私はプログラムの担当教官という仕事を引き受けたときから、ずっと部下を指導する立場にあった。教官は
プログラムの最高責任者だ。国家事業であるから、それがたとえどんな内容のものでもきちんと最後まで遂行し、見
届けなければならない。だから後輩だって育てた。今ではプログラムの管理兵士という任務を終えて、海外派遣を指
揮する若手の隊長を務めている者も後輩にはいる。プログラムというのが、この国では最も死に面した仕事だと言え
よう。そういう点では、平和な現実世界から過酷な戦場へという場の転換に慣れるという意味では、プログラムという
環境は新人育成には最も適しているのかもしれなかった。
勿論私とて、いつまでもこの仕事を続けるわけではないということにも気がついてはいた。中には自ら志願してプログ
ラムの担当教官になるという者もいるのだろうが、それは本当に稀なことだ。基本的にはこの仕事場は嫌われている
ように思えた。新人育成などという面倒なおまけつきの、それも命の懸かった仕事となると、そうそう意気込んでやり
たくなるような仕事ではないだろう。志願者も大抵は自らの希望でずっと教官を務めるものも少なくない。だが、中に
はその功績を称えられて、本格的に軍部へと昇格していくものもいるのだから驚きだ。また、女性の場合は管理職と
いうことで、まずはこの仕事から始めさせられることも多いらしい。確かに、戦場に赴くのは男性の役目であるという
のはどこも変わらないから、この点は頷けるといえば頷けるが。

「なんじゃい、また悩み事でもあるんじゃろ。言うてみんか、こりゃ」

隣で白髪の老兵士が、にっこりと笑う。さながら同窓会みたいだ。的場は、立派な白髭をなでながら、私のことをじっ
と見ていた。
かつては戦場で、それこそ血にまみれた活躍をしていたと噂される的場。この姿を見る限りは想像できるものではな
いが、その瞳の奥に映るそれは真剣そのものだった。これだ、私は昔からこの目が苦手だった。どんなことも彼には
全て筒抜けなんじゃないかと、それがただ恐ろしかったのだ。豪徳のスキンヘッドの三白眼といういかにもな見た目も
それはそれで怖かったが、この人にはまた別の意味で、なにかが宿っているのかもしれない。気迫、という言葉がま
さにそれに当てはまるのだろう。

「……やはり、感情を抑えるのは難しいんですね。今までも何度かありましたが、こんなのは初めてです」

私は、その視線を少しだけ逸らしながら、言った。
今まで部下だけだったこの職場に、突然大先輩がやってきた。立場上は私のほうが偉いが、そんなことは関係ない。
今はただ、大先輩にとがめられないよう、黙って仕事をするしかないのだ。

「そうか……まぁそりゃそうじゃな。君はこのクラスには色々と思い入れがあるじゃろうしなぁ」

なぜ、今回のプログラムにわざわざ大先輩が私の下についたのか。それは、機密書類が手渡された瞬間……正確
には、対象クラスの書類を見た瞬間に理解した。公立ひばり中学校、三年A組。見覚えのあるクラス、見覚えのある
名前、そして間違えるはずがない……私の息子の名前。
プログラムの教官は他にもいる。わざわざ私をここで選出する必要はないだろう。そう思ったが、よく考えてみればそ
れは当然のことだ。息子の最期を見届けるのが父親の役目、とまではいかないだろうが、これは国からのある種の
慈悲の心なのかもしれないと思えた。
私は迷った。家族は私がなんの仕事をしているのかをよく知っている。だが、その詳細までは伝えていない。ただ、
部下を育てる役所にいるということ、それから、それ以外の時期は主に尻拭い……昨今の現状で言えば、国が開発
した新薬実験の暴走の食い止めがまさにそれだった。何処から洩れたのかわからないが、それが強烈な依存と副作
用をもたらす恐れがある為に、開発を断念しようとした途端の出来事。潜入操作役に、息子を起用したのも私の判断
だった。実際、麻薬を撲滅する為にはバイヤーを撲滅するだけではどうしようもない。その元締めをたたかなくてはな
らないのだ。そして、息子の在籍する学校でもその麻薬が存在するという事実を確かめた。だからこそ、息子に協力
を依頼したのだ。本来はあってはならないこと、だがそれは国家機密に関わることだったし、一刻の猶予も許されな
いことだったのだ。反対の声も若干名存在したが、私は息子に委ねた。
なのに、私はその事実を伝え、息子がプログラムに選出されたことは教えなかった。それをしたら、私の全ては終わ
ってしまう。クビになるだけならいい。だが、それは『処分』ものの罪だ。それなら。日頃から鍛錬という名の訓練を
細々と積ませていた息子なら。可能性はゼロじゃない。家族全員が『処分』されるよりは、私はその、ゼロではない可
能性に懸けてみたかった。

「この……村田という生徒も、確か木下の家に来たことが」

「……はい。一緒に野球部に所属しておりました。息子の親友だったんです」

奇しくも、プログラムの開催日はクリスマスイヴだった。毎年、ささやかなご馳走を振舞ってくれた妻の文枝。今年は、
私も息子もいないのだ。それが、とても辛かった。
基本的に、プログラムを受け持つ教官はある特定の生徒に加担してはならないことになっている。それは、言うまでも
なく公平を規すためであり、今更私がそれを再確認するまでもないことだ。
しかし……常識的に考えて無理だろう、それは。曲がりなりにも私は父親であり、人間だ。目の前でむざむざと死ん
でいく息子を、放っておけるはずがないじゃないか。だから、国は大先輩を私の下に置いたのだ。ひとつは、私の暴
走を抑えるために。そして、もうひとつは……私になんらかのことが発生した場合、その仕事を引き継ぐ為に。

「生き残ってもらいたかったかい?」

老兵士の目が、私の奥底を覗き込んでいた。
私は試されているのだ。私がこの仕事を、最後まで遂行できるのかどうかを。

「……私個人で言えば、ですが」

私の返事に、的場はにっこりと笑みを浮かべた。頭をポンポンと叩かれる。合格のようだ。本心で言えば私は息子に
生き残ってもらいたかった。だけど、それは叶わぬ夢だったのだ。


 息子は、プログラムが始まる前に死んでしまったのだから。


 ……私はこの仕事を最後まで遂行できる自信はなかった。
 だがそれは、あくまで息子がプログラムに参加していたらの話だ。

 息子が参加していない今。
 私を止められるものは……誰もいない。






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