44



 息子が死んだ。

 その知らせを聞いたときは、確か私は来るブログラムの打ち合わせ会議をしていたような気がする。
正確には会議は始まっていなかった。役員の一人、開発主任が少々面倒事に巻き込まれたらしく、到着が遅れるの
で少しだけ待機しているようにとの命を受けていたのだった。私はパラパラと資料を捲くりながら、ただその時が早く
来てくれないかと願っていた矢先の出来事だった。受付担当が、私宛に電話が来ているとの報告が来た。妻からだ
った。その声は、今にも消えてしまいそうな、か細い声だった。
私は仕事のことなど全てを忘れて、息子の下へと駆け出したかった。だが、それは許されるべきことではない。この
会議がどれだけ重要なのか、そんなことはわかっていた。息子の命だけではない。息子と同じクラスの生徒全ての
命がかかっているのだ。私は冷静に、病院で待つように告げた。
結局会議は三十分遅れで始まり、私は特に発言することもなくただ淡々と時間が経過するのを待っていた。そして、
くだらないトトカルチョの話に差し掛かると、私は急用が出来たと言って会議を抜け出した。周りのものは、息子が賭
け事の対象にされることを嫌がって退席したのだろうと思っているだろうし、私があの場にいたのでは雰囲気だって気
まずくなってしまうだろう。私はあの場に居るべき存在ではないのだ。尤も、息子がトトカルチョで一位に輝いているの
は必至なことであり、それはそれで嬉しくはあったのだが。

 私は車に乗り込むと、担ぎ込まれたという病院まで飛ばした。免許を取ってから無事故無違反を保ち続けていた私
だが、今日は初めて、信号無視というものをしてしまった。いけない、落ち着くんだ。結果はもう、わかっていたのだか
ら。だが、それでも。父として……私は。
病院に到着すると、ロビーで文枝が私を出迎えてくれた。顔をぐちゃぐちゃにして、文枝は泣いていた。今まで私が見
たことのない、顔をしていた。担当医らしき白衣の男が、私の身分を確かめると、地下室へと案内された。

「……お父様にとっては辛いかもしれませんが……宜しいでしょうか」

「構わない。見せてくれ」

病院に担ぎ込まれたときには、既に死亡が確認されていたという息子。まだ私はその経緯に至るまでの出来事を把
握できていなかったのだが、そこに待ち構えている現実を、なんとなく想像することは出来ていた。
プログラムの教官をするということは、つまりそういうことだ。息子となんらかわらない年齢の中学三年生が、無残にも
殺し合いをする、それがルール。爆弾で粉々になった生徒もいる。マシンガンで蜂の巣にされた生徒もいる。首輪を
爆破されて頭から上が消失した生徒もいる。それらは全て死体清掃業者が片付けるのだが、それらはプログラムの
経過報告資料を参考に身元を判別し、遺族へと引き渡される。遺族には辛い現実が訪れるのだ。それが、プログラ
ムに巻き込まれるとわかっていた私にとって、早かったか遅かったかの違いだけだ。
そして、私の目の前に現れた息子は、既に『息子』ではなかった。なんと形容していいのかもわからない、それは完
全に『人』としての形も保っていなかった。予想だにしなかった現実を突きつけられて、私は愕然とした。今朝、元気に
中学校へと出掛けていった息子。行ってきますと、笑顔を向けてくれた息子。その息子が、これだと?
私はショックで、その場にへたりこんでしまった。息子の亡骸を抱くことすらままならず、私はどうすればいいのかもわ
からなかった。呆然としていると、やがて担当医が部屋を出ようと促してくれた。私はおぼつく足取りでふらふらと立ち
上がると、やっとの思いでその部屋から抜け出したのだった。
続いて面談室に通された。そこには制服を着た警察官がいた。その警察官は、どうやら交番から偶然その事故を目
撃した人物らしかった。そこで私はようやく、息子が死に至るまでの経緯を聞くこととなった。息子が複数の人物に追
われていたこと、歩道橋の上でもみ合いになったこと、そして……歩道橋の上から突き落とされ、丁度通りかかったト
ラックに轢かれたこと。その情景が頭にうまく浮かばなくて、私は少しだけ脳神経が麻痺しているのかもしれないと思
った。
直接息子を轢き殺した張本人は書類送検されて、現在は警察へと連行されているのだという。だが、その運転手は
運が悪かっただけだ。私はその運転手に対する怒りが湧くこともなく、少しだけ同情してしまったほどだった。少なくと
も私の息子がその運転手の経歴を汚してしまったのは、確かなのだから。
それよりも、肝心なのは息子を歩道橋から突き落とした者、そして息子を追い立てた複数人だ。彼らも今は警察に任
意同行され、色々と調べられているのだという。後にそれが息子のクラスメイトだと知ったのは、葬式の直前だった。

そして通夜があり、告別式が執り行われた。少々ハプニングが発生したものの、式は滞りなく進んだ。そして、プログ
ラムに巻き込まれる生徒以外は全員退席させられて、別室に移動させられた。私はそこで、残された生徒達がプロ
グラムに巻き込まれることになることを告げた。少しだけ会場がどよめいたが、特に問題はなかった。
息子の告別式の時に生徒を拉致する。その報告を受けたとき、私自身、怒りが込み上げた。だがそれは決定事項だ
ったし、私がどうすることの出来る問題でもない。私は、受け入れることしか出来なかった。そして、私に残されたプロ
グラム前の最後の仕事、それは、その場にいない生徒を会場へと運ぶ役目だった。対象者は二人。どちらも息子を
殺すまでに至らせる出来事に加担した生徒だった。私は追いかけた方は的場に任せ、直接息子を突き落とした本人
へ面会をしに行った。どちらも、現在は処分待ちの自宅謹慎中だった。

 私はその生徒、松本孝宏(男子十一番)と面会した。
 大方私のことを警察だとでも思っていたのだろう。松本は、不機嫌そうな顔をしていた。

「やぁ、松本君……だね」

「そうだけど、おっさん誰?」

「私は、君が殺した木下栄一郎の父親だよ」

 瞬間、松本の顔が強張る。当たり前だ。

「な……なんだよ、俺に会いに来て、どうするつもりだよ……!」

「警察から全て話は聞いた。とりあえず、息子に謝ってくれないか。今日が告別式なんだよ」

「…………」

 松本は黙ったままだった。まぁ、仕方ない。こいつのことは大体調べた。この反応も予想の範疇だった。
 私は溜息をつくと、鞄から書類を取り出した。

「だんまりか。まぁいい、本題にうつろう」

「……本題?」

「この紙にも書いてあるが、面倒だから私の口から言わせてもらおう。松本君、君はプログラムに選ばれた」

 プログラム、その単語を口にした途端、松本の顔面が蒼白になった。
 当たり前だ。私とていきなりそんなことを言われたら、びっくりして口をパクパクすることしか出来なくなる。

「な……!」

「詳しいことはこの紙にも書いてある。他のみんなは既に会場へと移動している。さぁ、君も行こうか」

 私が立ち上がると、松本は腰を抜かしたのか床に倒れた。
 そして、這ってでも逃げようとしているのか、なにかを呟きながら後退りをしていた。

「どうしたんだ、行きたくないのか?」

「い……いやだ……! そんなのいきなり言われたって……嫌に決まってんだろ……!」

「そうか……君は参加したくないというんだな?」

「当たり前だっ!」


「わかった」


 銃声が一発、鳴り響く。
 次の瞬間、松本孝宏という命の存在は、この世から抹消されたのだった。

 背後から松本の母親の悲鳴が聞こえる。私はそれを無視して、母親の元へと歩み寄った。

「お騒がせしました。あとの処分はそちらにお任せします。それでは失礼」

 私はそれだけ言い残すと、さっさと玄関から外に出て、車に乗り込んで会場へと向かった。
 どうせこうなることは眼に見えていた。だからこそ私ははじめから銃を所持していたのだし。



「……まったく。儂だってそのくらいの予想はしとったが……」

 的場はうまく言いくるめて、もう一人の生徒、佐野 進(男子五番)を会場へと連れてきていた。可能なら佐野も私の
手で殺害したかったが、そこまでやると完全に私利私欲とみなされて処分されてしまうだろう。結局、私は生徒への
暴行だけにとどめておいた。
息子が死んでから、私は権力の限りを尽くして事件を調べ上げた。そして、ようやくこの学校に染み渡る麻薬の存
在、そして常用者の生徒までをも調べ上げたのだ。今更死に逝く生徒達に向かって、こんなことを言うのもアレかもし
れなかったが、少なくともこの事実を伝えたことで、こいつらが生き残らないことに、期待するほかはなかったのだ。そ
れが、私が出来る数少ない仕返しの一つだった。実際、そのうちの二人は麻薬を敵視する生徒に瞬く間に殺されたと
いうし(全員の出発を見届けて、私が本部に戻ったときには既にその二人は死んでいたのだ。なんということだろう)、
また残る一人である佐野も、息子の親友に仇討ちされた。これで、このクラスの中の膿は排除されたのだ。少々乱暴
で残虐で手荒かもしれなかったが、まぁ結果オーライ、よしとしよう。
だからこそ、息子の親友であった河原や村田が死亡したときには少しだけ落ち込んだ。この二人は、よく私の家へと
遊びに訪れていたのだ。勿論、私の顔も知っていたろう。今までのプログラムは全員赤の他人だった。だが、今回は
少なからず顔見知りがいる。それは初めてのことであるのと同時に、悲しくもあった。

 私は残り二人となった名簿を見て、少しだけ溜息をついた。そのうちの一人である、三鷹明弘の名前を見る。彼は
急遽今プログラムに参加することになった転校生だった。なにしろ参加が決まったのが一昨日のことだというから、そ
れにしても急すぎると思ったのだが、それは一緒に添付されてきた資料を見てようやく納得できた。それと同時に、信
じられなくもあった。
2002年のプログラムで継続中のとあるプロジェクト、それが耳に入ったときは、まさか本当にやるとは思えなかった
のだが、今まさにこうして目の前で公然と行われているじゃないか。その転校生の実力は確かだった。そして、間も
なくその転校生は、38回目の優勝を遂げようとしている。全くの部外者が優勝するという事実に、私は正直考えさせ
られた。もしかしたらこのプロジェクトは、プログラムの存在意義を根底から覆すものなんじゃないか、そう思ったほど
だった。
そう、通称“RENZOKU”と呼ばれるプロジェクト。本年度第一号で優勝した生徒を、そのままプログラムに参加させ
続けるという滅茶苦茶なルールだ。人間が極限まで追い詰められたとき、その力はどれ程のものなのか、というのを
調べる為に執り行われた、と資料には書かれているが、その本意は定かではない。建前と現実がどれだけ掛け離れ
ているかなんて、私の知る限りではないのだが。


 時刻は午後七時をまわった。
 転校生が、残された最後の一人の元へと歩いていくのが、モニターに表示されていた。






 PREV / TOP / NEXT